インド「ヒンドゥー教の国を脱却」した"民衆の力" 人民党はなぜ議席数を減らすことになったのか

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野党の大幅な議席増については、国民会議派と地域政党との選挙協力がようやく機能したという点を指摘できる。

国民会議派は政権を担っていた時代に、地域政党に対して高飛車な態度をとることがあり、インド人民党が地域勢力を取り込むなかで、国民会議派は中央だけが孤立するということを繰り返してきたが、2024年の総選挙で国民会議派は大票田で野党の選挙協力を巧みに進め、議席増に確実につなげることに成功した。

モディ政権の実績にひととおり満足はする有権者が多いなかでも、長期政権に対する飽きや失望の意向をすくいあげ、勢力拮抗のバランスをとらせようとする感覚が働いた。

自分たちの暮らしを守りたいという意識は特に農業で顕著に現れた。

背景には農業改革3法をめぐる事情がある。農業自由化を骨子とする3法に、農民は農産物の最低価格保証の撤廃を招くとして強く反発し、法案が成立すると直後から農民による大規模な抗議運動が続いた。

与党側は最終的に法律を撤回し、農民は最低価格保証の制度化を求める運動を再開した。農民による激しい抗議が続いたパンジャブ州でインド人民党は全議席を失っている。

連立政権運営という試練

「民主主義のDNAが機能し、インドがヒンドゥー教の国にはならなかった」という結果は、同時に民主主義の弱さと共存しなければならないということも意味する。

10年ぶりに中心政党が過半数に達しない事態となったため、常にインド人民党を圧勝に導いてきたモディ首相は、連立政権運営というはじめての試練に臨むことになった。

与党連合の中で大きな議席を占めるテルグ・デサム党とジャナタ・ダル(統一派)が同時に離反すると、過半数を維持できなくなり崩壊する。また再びの寄り合い所帯ということになった。

インドでは、連立を組む党に抜けられ政権を維持できなくなるということは過去にもあった。

核実験強行で勢いをつけたインド人民党は、かつてタミルナドゥの地域政党の離脱で政権を維持できなくなった苦い経験がある。野党側は首相ポストをちらつかせて、インド人民党の友党の切り崩しや取り込みを図ることもできなくはない。

それゆえにインド人民党と友党との絆の深さが政権安定の鍵となる。インド人民党内部の派閥争いや離反、少数政党、独立候補との結束も以前にも増して十分に警戒しなければならない要素となった。

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