カナダが"アジア系と共生する道"を選んだ経緯 アメリカよりも欧州、なかでも北欧に似ている

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『教養としての世界の政党』P.121より

文化共生の土壌の大きな要因は、ケベック州を中心としたフランス文化の存在にある――これが私の仮説その1です。

フランス語は英語と並ぶ公用語で、公的機関は英語とフランス語によるアクセスを保障しなければなりません。2つの言語が併存していることは、いろいろな文化を取り入れていく大きなきっかけになります。

さらにフランス文化と切り離せないのがカトリック。プロテスタントの多い英国の影響も大きいのですが、フランスの影響があるからこそ、アメリカのような「プロテスタントの国です!」という主張にはならず、2つの宗派が均衡しています。

社会的な礎は白人のキリスト教文化ですが、それ自体が言語的、宗教的に2つに分かれているので、多文化共生を育む土壌となったと言えます。

さまざまな価値観を認める多文化共生であれば、「うちの国が一番!」というナショナリズムは育ちにくい。したがって右派ポピュリズム政党は生まれにくいようです。

「先住民同化政策」の過ちをプラスに転じる

カナダが多文化共生となった要因はフランス文化だけではありません。私の仮説その2は、先住民に対する非道な振る舞いへの反省です。

カナダにはアメリカ同様に先住民が暮らしていましたが、その扱いはひどいものでした。

「キリスト教も知らないし、英語も話せない? 動物と同じ下等な人間じゃないか」

キリスト教文化を中心に国家としてまとまろうとしていた19世紀のカナダにとって、独自の文化、宗教をもつ先住民は邪魔者だったのでしょう。差別や暴力事件も多く、なかでも特筆すべきは国家主導の「子ども同化政策」。先住民の子どもを親から引き離し、キリスト教徒として教育し直すために強制的に寄宿舎学校に入れました。その数は15万人以上とも言われています。

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