加えて中原は純粋にアラフィフとしての自分自身がアイドルであることに関しては、実にアイドルらしい考えも持っている。
「自分自身がこれまでアイドルにたくさん元気をもらっていたなという思いがあって、それって看護師と実は通じるところがあるんですよ。だから私はみんなに病気になる前に元気でいてほしいっていう気持ちで今やってます」
まったく違う2つの職業であるが中原の中ではしっかりつながっていた。
「歳に関してはこの年齢だからこそカラダに鞭打って頑張ってます、というのが伝わればいいなと思ってやってます。同時に年齢を重ねるとチャレンジしにくくなるけど、中高年でももっと自由に活動していいと思うんです」
年齢をオープンにしているからこそ、アイドルとして伝えられることがある。50歳を過ぎた今だからこそ、自由に好きなことをやる。なかなかできることではない。
「おこがましいですが、私を見てくれて同世代の方が勇気をもらって、自分の好きなことをやる人たちが増えてくれたらいいなと思います」
ただアイドルをやるのではなく、中高年に夢を与えられるアイドルになる。アラフィフアイドルであるからこその一言だ。
アイドルとして「父の曲」を歌う日
そんな中原は作曲家である父に曲を依頼し近く発表するそうだ。
「父も喜んでくれてますし、しっかり歌っていきたいですね! アイドルソングというよりはやっぱり歌謡曲な感じなのですが」
若い頃は考えもしなかった父の曲をステージで歌うということ。55歳にしてかなえる親孝行。「曲を作ってほしい」と話をしたときの父は笑顔だったという。
これからソロアイドルとしてさまざまなステージでその曲を歌うことになるだろう。そして、それが自身の代表曲になるべく動く。
つねに新しいことを吸収して、自身が夢見たステージに立てるその日までアラフィフの希望となるべく中原さくらの挑戦は続いていく。
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