トランプは「大衆の絶望」をいかに癒やしているか 黙契が剥奪され「格下げ」された人々の「怨念」

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私は縁あってバーバラ・ウォルターの『アメリカは内戦に向かうのか』(東洋経済新報社)を昨年翻訳する機会を得た。この本では、取り残された人々、「格下げ」された人々が心中にため込む絶望が、世界中の内戦の引き金になってきたと分析している。

つまるところ、同じ国や地域で、人と人が武器を取り合うのには、しかるべき心因が存在するということだ。従来暗黙裡に保障されていた経済的・社会的権利が徐々に剥奪されて、母国にいるのに、あたかも異邦人のような不遇をかこつ人々が、ドラッグや自殺という形で、早々に死んでいく。これは他者ではなく自分に武器を向けてしまった結果なのだろう。彼らは裏切られた人々、取り残された人々である。暗黙の契約が何の通告もなしに反故にされ、生きていく意欲も気力も能力さえもなくしてしまった人々である。

希望を失った人々、絶望した人々、失うものを持たない人々が、日々思想の地政学における空洞をせっせとシャベルで掘っている姿がまぶたに浮かぶ。彼らには洞穴を掘るしかなすべきことがない。すべては絶望のなせる業なのである。時に武器を手にしたり、奇矯な行動に打って出たり、あるいは極端に論理的なシステム言語を駆使して人を煙に巻いたりなども同様の系に属する。

大衆の絶望

著者は、次のように日本について釘を刺している。

「日本の議論が思想運動と政治・大衆運動をごっちゃにして語るのはいただけない。(改行)トランプ登場は大衆の絶望を起爆剤にして、またその力を借りて、それまでの共和党主流の理想的基盤を一挙に破壊しようとした現象だ」(「第14章 バイデン政権が抱えた課題」p.269)

はっとさせられる。

私たちはつい政治現象がありありと眼前に迫ってくるあまりに、別々のものを一つの箱に入れてかきまわしてしまいがちなのだ。それを丁寧に腑分けしていけば、大衆の情緒性を原因とするところの一つの作用、すなわち症状に過ぎないことが見えてくる。

トランプのみならず、白馬に乗って現れるごときリーダーは、ある意味では大衆の側に存在する救世主願望の投影とも読める。

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