トランプは「大衆の絶望」をいかに癒やしているか 黙契が剥奪され「格下げ」された人々の「怨念」
著者は、そこで「思想の地政学」という語彙を用いている。私はこの語がとても気に入った。というのも、私を含む一般人は、現象にばかり幻惑されて、その内的な現実を好んで見落とす。本書が記述するのは、世界を読み解くもう一つの見えざる地政学のほうである。実はそちらのほうがはるかに複雑であって、解析はなかなかに困難である。
大学に入ったばかりの頃だから、ずいぶん昔になる。父の本棚に河上肇『貧乏物語』の文庫本があって、何の気はなしにめくってみた。河上の文章は格調高いのにどこか親しみやすくて、読んでいて快かった。その本には、様々な種類の貧乏のありようが記述されていた。私たちは貧乏というと経済的困窮、すなわちお金がなかったり物資が欠乏する状態をすぐに思い浮かべるけれども、実は精神や文化、教養など不可視な領域にも貧乏は存在しているのだと河上は主張していた。
「思想の地政学」という言葉を目にしたときに思い出したのが、この『貧乏物語』だった。経済や政治における資源の欠乏は、現実には、内面困窮、知的欠乏の結果に過ぎないのではないかということだ。
あえていえば、現代という時代を駆動するプログラム、もしくはそこにインストールされているOSやアプリケーションのシステムを精密に読み解く試みとも言い換えられるだろう。
ぽっかりと口を開けた洞穴
そんな風に考えていくと、アメリカの白人男性で、とりわけ所得や学歴の低い層の死亡率が高まっている現象、すなわち「絶望死」の重みが切実に感じられてくる。ぽっかりと空いた洞穴――。「もう一つの地図」から読み取れるのはそんな呪いの残欠である。
著者はあとがきで記している。
単にバイデン支持者が金持ちで、トランプ支持者が貧乏だと言っているのではない。彼らの持つお金や学歴に単なる格差が生じているというのではない。むしろその経済格差を見るに及び、著者が心内の驚きを「桁が違う!」と括弧で書き足してしまうくらいに、その空白が桁違いの負の力学を生んでいる点にある。
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