1日10万個製造「京都おたべ工場」内部の凄い光景 意外と知らない八ツ橋の歴史と工場見学の内容
そこで手始めに他店と同様に、焼いた八ッ橋を販売。しかし、それでは差別化を図ることはできない。他店では焼いていない柔らかい生地の生八つ橋もあったが、それでは量産化が難しい。
清三氏とその息子の英一氏が「ほかにはない八ッ橋を売れないか」と考えて浮かんだのが、おたべだった。
おたべが発売される前に、他店で販売されていた生八つ橋は、上生菓子のようなお菓子で、量産は難しかった。そこで、おたべにはある工夫が施された。
おたべはなぜ三角形なのか?
簡単にたくさん製造できるように、生八つ橋にあんこを折りたたんだ、シンプルな三角形の形にしたのだ。ちょうどおたべが発売された当時は、高度経済成長期で旅行者が増えたタイミング。お土産需要が期待されるタイミングで、生八つ橋の量産化にこぎつくことができた。
ちなみに、現在の社名である「美十」は、冒頭でも触れた通り、清三氏が最初に事業を興した純喫茶の店名に由来している。
造り酒屋や綿布問屋、染屋、時計店など数々の職を経験した清三氏は、29才のときにクラシックレコードが聴けるアール・デコ風の純喫茶「美十」を開業。戦争の影響を受け、残念ながら1945年に閉店を余儀なくされたが、その翌年には京都の河原町六角で、菓子小売店を開業。現在の美十の製菓事業につながっている。
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