英チャールズ国王の元側近が語る「紳士の教養」 名門ラグビースクールの日本校を創設した背景

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先日あるイギリスの友人と話していて、彼がさりげなく"アングロスフィア(Anglosphere)"(注:英語圏諸国)という言葉を使ったのが印象に残りました。産業革命以降、300年近く世界のルールは英国とアングロスフィアが決めてきたと言っても過言ではないと思います。それは経済や国家の基本的な仕組みだけでなく、何を美しいとするかという美意識(美術やファッション)や正しく生きるとはなにかという倫理や道徳についても言えると思います。

アジアの人たちもゲームメークする側に

一方アジアは、日本はバブル期に非常に努力し成功も収めましたし、中国も近年大きな力をつけており、今後は東南アジアも伸びると思いますが、それでもよき「プレーヤー」にとどまっているのが現実ではないでしょうか。

人類社会の多くの重要かつ核心的な分野でのゲームメーキングの主体は、あくまでアングロサクソンのままです。プレーヤーのままですと、せっかく頑張ってもゴールポスト自体が動くことがあります。だからゲームメーキングする側に入っていかないと面白くない。

ただ、イギリスが閉鎖的で陰謀論的に世界を牛耳ってきたのかというとそういう意味ではありません。私が身をもって体感したことですが、イギリスの社交界の中枢でも、ラウンドテーブルの座席はつねにそこにオープンに用意されている、ということです。誰でも豊かな教養の上に成り立つ新しいユニークなアイデアがあれば、扉を叩いてそこで意見を述べることができるし、われわれはその舞台に非常に歓迎されます。

そして、そのような人物であれば、1つの地域の課題や物語を超えた、人類全体の未来の枠組み作りや価値観の形成に貢献できます。ただ、そこに座りにいくアジア人がいるかといえば、あまりいないのが現状です(僕は王室の8年間でSir David Tangという1人にしか出逢いませんでした)。

白洲次郎さんが有名かもしれませんが、明治時代の日本の偉人であれば、世界と対等に話ができ、世界のルールづくりにかかわるような人物がいたと思うんです。

そういった枠をはみ出て未知の領域をこれから定義していく重量級の人材育成には、新たな選択肢も必要だと思っています。国という枠組みのなかで整備されてきた公立とも私立とも違う、完全に国とインデペンデントな教育環境です。現在の日本や中国が定めた学習指導要領だけでそういった重量級の人物を輩出することは可能か? そう思ったことが、学校をつくり、教育の世界に情熱を傾けようと決意した理由です。

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