佐治敬三と開高健、深い友情が2人を支えた 支える人間がいることで「最強」になれる

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辣腕経営者と無頼派小説家にとって互いはどんな存在だったのか(kou/PIXTA)
辣腕経営者と無頼派小説家が、共に「心の闇」を抱えながら育んだ互いを畏友とする仲とは。『最強のふたり』(講談社)は評伝作家である北康利氏がたぐいまれなタッグを組み一時代を画した「合わせ鏡」を描く。

──主人公のご両所とは浅からぬ因縁があるようですね。

開高健は高校(大阪府立天王寺高校)の先輩。37年前に爆笑に次ぐ爆笑の講演を学校で拝聴し、強烈な印象を抱いた。佐治敬三は同氏の菩提寺の住職が私の名付け親であったりして……。友人や知人の関係では多くの共通する知己がいた。

最強の水準に至った二人のスケール感

──その二人、何が「最強」なのですか。

人として求められるスケール感だ。それが最強の水準にまで行くには、実は陰に陽に並々ならぬ苦労や葛藤があった。

佐治は体が弱く、休学もしている。母親を早くに亡くす。二男で家業を継ぐとは思っていない。植物学者か化学者になろうかと。ところが、兄が亡くなる。戦時下となる中で、急に経営者になれと言われる。化学者としては懸命に松根油を集めたりしたが、まったく意味がなかった。いろいろ挫折を繰り返している。とどめは最初の妻が産後の肥立ちが悪く、終戦直後に亡くなったことだろう。神も仏もあるものかという心境になったようだ。

開高についても、旧制中学1年時に腸チフスで父親を亡くす。戦時下、極貧の中で幼少年期を送る。戦後もバイトばかりで勉強の時間はない。何とか大学の卒業証書はもらったが、幼少の頃からうつ病を背負ってもいた。

──しかし、二人とも心折れずに人生に挑んでいきます。

何といってもエポックメーキングなのは、佐治はウイスキーが売れに売れたときにビールに打って出たこと。2代目として先代のレールに乗るだけではなく、自分なりに挑む。

開高は27歳で芥川賞を取り、作家としては早々に成功している。その一方で、自分自身の原体験としての戦争を引き起こす人間とは何なのかを追究する。アウシュビッツを訪れ、アイヒマン裁判を傍聴し、ベトナム戦争の実際の戦場に行く経験までして、人間とは何か突き詰めていく。そこで、作家としてギアが変わった。違うフェーズに達する。彼の代表作である『輝ける闇』や『夏の闇』はベトナム戦争を経験しなければあそこまでにならなかった。

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