対話の技法/対話の苦しみ 善意が無に帰するとき

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他者の苦しみを理解できないことに苦しめ。自分が何をしても、他者の苦しみにとっては何の救いにもならないことに苦しめ──。

これを「共苦」という。「苦しめ」の連続で、本当に苦しくなりそうだが、現代の対話の観点からしても重要な示唆を含んでいる。

他者の苦しみはわからない。それに救いの手を差し伸べたところで、それが本当に「救い」になるかどうかはわからない。だから、「自分自身の苦しみ」を軽減するために行動せよ、というのである。

そして、まずは行動しなければ、対話は始まらない。これが最も重要なポイントなのだ。

行動と衝突によって対話の契機が生まれる

他者の苦悩に起因する自分の苦悩、あるいは羞恥。これは行動の原動力となるものだが、善意や正義感よりも根源的な力であるという。

東日本大震災の復興事業において、私は数多くのボランティアの若者たちと出会った。若者たちの多くは熱く語ったものだ。支援に参加した動機。想像以上の被害への驚き。微力ながら復興の役に立てたこと(みな意外なくらい謙虚だった)。被災者と心の交流を果たせたこと。そして、被災者から多くを学んだこと──。それはそれでよい。復興の役に立ったことは確かだし、貴重な経験を得たことも事実だろう。

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