東芝、もはや修復不能だった歴代社長の確執 それは2013年の社長交代会見で表面化した

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佐々木が社長を任されたのは2009年6月。リーマンショックのあおりで、直前期は3435億円の最終赤字。非常事態の中で、重圧を感じていたことは確かだろう。とはいえ、佐々木が本社内に常にいることすら、西田には不満だったようだ。国際派の西田はグローバル企業のトップと積極的に交流。海外出張も頻繁にこなし、スピーチする機会も多かった。一方の佐々木は「独身で、飼っている猫の世話を理由に、海外出張を断っていた」(東芝幹部)。

東芝で国際派トップの源流といえば、1996年に8人抜きで社長の座に就いた西室だ。1990年代前半のDVDの規格争いで、ソニー・フィリップス連合を打ち負かした実績が買われての抜擢だった。慶応大学卒、非重電の営業畑は、明らかに非主流。東京大学卒・重電畑という慣例を崩したトップ人事だった。

 「西田さんを敵に回すと怖い」

そして西田も、異色の経歴の持ち主だ。イラン法人から本社へ転籍、海外のパソコン事業で頭角を現した。世界初のノート型パソコン「ダイナブック」を開発した東芝は、欧米での販売拡大が至上命題。得意の語学と国際感覚を武器に、西田は販路を着実に広げた。気配りも欠かさず、「欧州販売店の社長夫人の誕生日には花束を贈り、西室をはじめ上司にワインを送っていた」(東芝元役員)。

2013年2月の社長交代会見。ここで西田氏(左)と佐々木氏(右)の確執が表面化した(撮影:梅谷秀司)

西室が委員を務めていた指名委員会は2005年、当時社長だった岡村正の提案を受けて、西田を社長に指名。つまり、西田は西室“直系”の後継者といえる。社長就任後は、原発と半導体の2事業に集中。次々と大胆な経営改革を打ち出し、社内では「西田さんを敵に回すと怖い」とささやかれるほどだった。

名経営者ともたたえられた西田は自分と違うタイプを後継に据えたが、その振る舞いは期待に沿うものではなかった。片や佐々木は、V字回復を遂げたという自負から、反発を強めたとみられる。

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