東芝・田中前社長が就任時に語っていたこと 2013年の就任時に掲げたミッションとは?

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1500億円を超える不適切な会計操作が行われていたとの第三者委員会からの指摘を受け、7月21日付で東芝社長を辞任した田中久雄氏。田中社長は、2013年の就任時にはどのようなことを語っていたのだろうか。

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田中社長は、社内SNSを活用し、社員とのコミュニケーションを図っていた。この日は「会計処理の件」よりも、「浴衣姿の地平アイこさん」についての説明を熱心にしている。社員も不安になったことだろう

「利益を犠牲にしなくても、新しいビジネスの創出、新市場の開拓はできると思っています。それができたらさっさとやれよと言われるかもしれませんが、二律背反をやりたいと思っています」「過去最高の売上高はリーマン前の2007年度の7兆6680億円です。私が社長を何年やるか次第ですが、過去最高売り上げは達成したい」

田中氏が記者に語っていたのは、高い成長目標である。今になって振り返れば、「二律背反をやる」のは困難であり、「過去最高売り上げ」も難しい目標だった。しかし、リーマンショック直後から会計操作を繰り返していたことを考えると、就任時のこれらの発言は「早く高い利益成長をすることで過去の粉飾分を相殺したい」という重すぎる意味があったことになる。

以下は社長就任直後のインタビュー全文である。(聞き手は前田佳子記者)

佐々木前社長時代の環境は最悪だった

――これまでどんな歩みを?

私は昭和25(1950)年生まれで、神戸生まれの神戸育ちです。学生時代は少林寺拳法をやっていて当時は2段の腕前でした。3段に挑戦する試験前の練習でケガをしてしまい、残念ながらそれ以上は進めませんでした。

大学卒業後に上京し、1973年に東芝へ入社しました。調達・生産を中心に経験を積み、その間にイギリスに2回、米国2カ所、そしてフィリピンと、都合15年間余り海外駐在の経験があります。営業と開発技術は経験したことがありませんが、それ以外の部門はだいたい回っています。

たなか・ひさお●1950年兵庫県生まれ。73年神戸商科大学(現兵庫県立大学)卒、東芝入社。2006年執行役常務、08年執行役上席常務。09年執行役専務。11年取締役 代表執行役副社長を経て、13年6月25日から現職。趣味はゴルフ、読書、旅行。座右の銘は「一期一会」。2015年7月に社長を辞任。

――佐々木前社長の4年間は、トップライン(売上高)を伸ばすというよりも採算重視の戦略を採られていました。田中さんの方針は?

佐々木前社長は、2008年に起きたリーマンショック直後の09年に就任されました。当時は世界中の企業がそうとう影響を受けた状態で、東芝も体質改善に向けて3000億円を上回る固定費削減を行った。09年度にV字回復を果たし、このまま順調にいくかなと思ったら3.11(2011年3月11日の東日本大震災)が起きた。超円高も深刻でしたし、欧州の金融危機やタイの大洪水などもあり、環境は最悪でした。

佐々木前社長は東芝を景気変動の影響を受けにくい事業構造に変え、BtoB領域の拡大を進めようとしました。満足できるかどうかは別にして、東芝は悪い環境でもある程度の利益が出せるような体質になりました。その成果は今、出てきていると思います。

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