戦争の痛みを伝えていかなければならない 塚本晋也監督が「野火」の映画化を急いだ理由

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(c)SHINYA TSUKAMOTO/KAIJYU THEATER

--構想段階では、アニメにしようという考えもあったとか?

 アニメなら、アフレコの時に著名な方を呼んで、ということもできるのかなと考えた時もありました。でもやはり『野火』は絵じゃないな。実写じゃないかなと思ったんです。

ーーそれは悲惨さが足りないということですか?

 もちろんかなりリアルなタッチで、写実的に描けば、それはそれで悲惨さは出るかなと思います。またそれとは別に、一度、簡略化した絵で、試しにアニメを描いてみたこともあったんですが、かわいいタッチになりすぎて。これで戦争の悲惨さを出すのは難しいなと思いました。絵のタッチはかわいいのに、脳みそがビワーッと出たりするのも、それはそれでありかなと思ったんですが、20年間やりたかったことがそれなのかと思ったら、それは違うなと思ったんです。

僕のような人間でも声を上げなければならない

ーーそこまでしても、この映画を作らなくてはいけないと思った原動力は何だったのでしょうか?

 もともと僕は新聞もそれほど読まないですし、好きな映画を撮れればそれで幸せだ、というタイプの人間です。そんな僕でも、声を上げていかなければいけないと思うようになりました。今までは「戦争の痛みを知っているからこそ戦争は絶対に嫌だ」という戦争体験者からの声が大きかったですし、戦争をしたい人にとってはその声はあまりにも強く、無視することができなかった。しかしそういう世代が少なくなってきたからといって、いきなり「じゃ、戦争を始めましょう」と言い出すのはおかしいと思ったんです。

ーーそういう意味で、この映画を観るべきは政治家なのかもしれないですね。

 政治家はこれを観ても何も感じないかもしれないですね。むしろ自分たちが観て、彼らの好きなようにはさせないぞという方が大事かもしれません。そうさせないための力はあると思います。

ーー20~30年程前に比べ、武力なしには日本は守れないという風潮が広がっていように思えます。

 今すぐに憲法を変えなくてはいけないという考えは戦争につながりそうで嫌だなと感じています。日本は70年間、戦争に参加せずに、憎悪の連鎖を完全に断ち切っていた。アメリカみたいに戦争好きな人たちの後方支援をやることで、これからいろいろなところから憎まれてしまうのではないでしょうか? 日本は原子力発電所だらけなのに、そこにテロでも起こされたらどうするつもりなんでしょうか? 崩壊への道筋がはっきりしているのに、どうしてそこにまっしぐらに向かうのか。首をかしげてしまいます。

ーーそういう思いになったのは、10年前に戦争体験者のお話を聞きに行ったのが大きかったわけですか?

やはり彼らの痛みは伝わりますからね。海兵隊の方にお話を聞いても「絶対に戦争はやりたくないです」と。そんな世界に自ら入っていくなんてあり得ないと思います。この70年間というのは、もしかしたら憎悪の連鎖がなかった奇跡の70年間なのかもしれない。それは誇りに思わなくてはいけない。なんとかその誇りを引き継がなくてはいけないのに、それを一気に壊そうだなんて考えは信じられないんです。

壬生 智裕 映画ライター

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みぶ ともひろ / Tomohiro Mibu

福岡県生まれ、東京育ちの映画ライター。映像制作会社で映画、Vシネマ、CMなどの撮影現場に従事したのち、フリーランスの映画ライターに転向。近年は年間400本以上のイベント、インタビュー取材などに駆け回る毎日で、とくに国内映画祭、映画館などがライフワーク。ライターのほかに編集者としても活動しており、映画祭パンフレット、3D撮影現場のヒアリング本、フィルムアーカイブなどの書籍も手がける。

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