夏休み「学童に行きたくない」子に親ができること 子も親も学童も悪くない現実の落としどころ
母である寅子に必要なことは、子どもに詫びを入れることではなくて、自身があまりに多忙であり、子育てについてこれ以上の努力なんて無理だったということを自分自身に認めることでした。
その前提のもとで子どもとの関係を再構築する必要があったのですが、寅子がこんなふうに自罰的なふるまいをしてしまったのは、彼女が何事にも真剣な人であり、同時に彼女の状況に対する周囲の理解も十分ではなかったからでしょう。そう考えると、これは誰にも非はなく、単にしかたがなかったと言わざるをえないのです。
こんなふうに人間の生活というのは「そうなっている」としか言えないようなしかたなさの周りで回り続けています。それなのに、子育てというのは子どもにとって人生でたった一回きりのこと。だから失敗は許されないと思い詰める気持ちも理解できます。そういう差し迫った気持ちを抱えながらも、同時に自分の人間らしさをちゃんと手当てしながら生活していくのが子育てにおいて必要なバランス感覚です。
子どもが一番うれしいこと
私はさきほど「子どもに対して罪滅ぼしをしないこと」と話しましたが、これについてはここまで読まれた方にはもうおわかりかと思います。日ごろ子どもに「ごめんね」という気持ちを抱えている方がいるとすれば、その気持ちはマジメさや優しさからきたものですから大切にしてあげてください。
でも、だからといってたまに時間が空いたときに罪滅ぼしで子どもに何かを買ってあげるとか、どこかに連れていってあげるとか、そういうのは子どもが気づいちゃうからよくない。これは、何かを買ってあげるとか、どこかに連れていってあげること自体がダメという話ではないですよ。そうではなく、それが「罪滅ぼし」という動機に覆われてしまっていては、かえって子どもに負担をかけることになりかねないのです。
子どもが一番うれしいのは、親自身も巻き込まれていっしょにおもしろく遊んでくれること。とは言っても、いつでもそうでなくていいのです。でも頭の隅にそのことがあるだけで、子どもとの関わり方は変わります。
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