夏休み「学童に行きたくない」子に親ができること 子も親も学童も悪くない現実の落としどころ
先日、NHKの朝ドラ「虎に翼」を見ていたら、主人公の寅子が一人娘の優未に「ダメな母親でごめんね」と頭を下げ、そのうえで「生まれ変わるから」と畳みかけるシーンがありました。
朝ドラを見ていない方へ簡単に説明すると、寅子は日本初の女性判事で、業務はきわめて多忙であり、しかも彼女は夫と死別していて、参考にできるモデルとなる先輩の女性もいませんでした。
そんな状況の中で、娘の優未はきっと日ごろから母親に十分に構ってもらえていないことに、さびしい気持ちを抱えていたでしょう。でも同時に優未は、寅子がいかに大変な仕事をしており、それが致し方ないことであることも、ある程度理解していたはずです。
つまり、優未は優未なりに現状を受け止めて納得しながら現実の生活を営んでいたわけです。それなのに、急に寅子の心変わりでこれまでの子育てを一方的に謝罪されたら、どんな気持ちになるでしょうか。それは、親との生活を自分なりに受け止めてきた優未の現実を踏みにじり、否定することにつながりかねないのではないでしょうか。
親が「育て方を謝罪」することの罪深さ
親が子どもに生活の現状を詫びることは、現状に「問題がある」という事実を固定化します。つまり、親が詫びることによって、子どもは「親には問題があり、それは改善の見込みがある(のに改善していない)」と考えるようになります。
だから、(想像すればすぐにわかりますが)これはおのずと子どもの「わがまま」につながるでしょう。子どもはいまや「かなえられるべき状況がかなえられていない」と考えるようになったのですから。
一方で、子どもが優未のような「いい子」の場合には、親の謝罪が子どもの現実全体を揺さぶり否認することにつながることだってありえます。なぜなら、どんな状況でもなんとか納得しながら「いい子」であり続けたのに、謝られることでその納得していたはずの現実をひっくり返されてしまったからです。
人は演技で生き延びるところがあるのに、「いい子」という必死の演技が水の泡になってしまっては、その子は何を頼って生きていったらいいんでしょう。揚げ句の果てに、現状が否認されたということは、きっと私自体に問題があるからだろう……。子どもがそんなふうに考えるようになったとしても、何の不思議もありません。
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