そもそも、リフレ派でなくても「悪い円安」論の議論の最後はたいてい「そうは言っても円安をテコに外需を取り込むべきである」という話になる。
円安のメリットは最大限活かすべきだという考えを否定する余地はないだろう。筆者も「骨太の方針2024」に企業の国内回帰を促す視点が少なかったことが残念だと指摘してきた。
実際には、円安をテコにした投資「期待」は生じていないわけではない。例えば、日銀短観の設備投資計画は堅調である。計画をしても実行されないことが問題なのである。
この背景については、設備投資のニーズはあっても人手不足問題などでなかなか実行されないという見方が多い。もっとも、機械受注統計は2022年と比べても下向きになっており、キャパシティーの問題だけでもないようである。
需要が増えなければ、設備投資は進まない
例えば、生成AIなど最新の技術を使った設備投資の計画が行われても、やってみたら実現は難しいことがわかったり、予算が余ったり、そもそも需要が増加して(必要性に対応して)設備投資をするわけではないので、先送りされやすいものが多かったりするのではないかと、筆者はみている。
企業利益が高まっても需要が増えなければ(設備稼働率が高まらなければ)設備投資は進まないということは、アベノミクスの円安局面の教訓でもある。
いずれにせよ、円安でも設備投資が増えない理由は、「期待」や「雰囲気」のようなナイーブな要因によるものではなく、「悪い円安」論に原因はないだろう。
近代経済学において、「期待」の役割が大きいことは事実である。そういった中で、メディア、世論、政府、日銀といった経済主体が経済成長率を最大化する方向に向いていないことは往々にしてあるだろう。
しかし、それぞれにそう考える理由があるはずである。
例えば、高齢化社会において中長期の経済安定よりも足元の景気に目が向きやすくなることは自然なことである。人々の「期待」を動かすことが難しいことは異次元緩和の教訓だった。
このような前提を所与として、経済政策の効果や景気のパスを予測し、処方箋を考える必要がある。
例えば、高い経済成長率によって社会保障の問題を解決することはベストである。しかし、現実にはそれは難しいとして、セカンドベストとして現実的な政策を選択することが先々のリスクを軽減することにつながることもあるだろう。
患者の状況も勘案して分析をすることを、筆者は心掛けている。
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