消えゆく国鉄気動車「キハ40」まだ乗れる路線 北海道や九州、確実に走っているのはどこ?

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3回目、3月30日(土)は9時過ぎに熊本空港に到着。無料の空港ライナーで肥後大津駅へ向かい、立野駅に出て、南阿蘇鉄道に乗った。熊本地震で被災し、2023年7月に全線復旧したので訪れたかった。

トロッコ列車に乗り、満開の桜を眺めながら終点の高森駅に到着。ここに来たのは2006年4月の大分トリニータ戦以来だったので、堂々たる新駅舎に驚いた。結局、九州に3回来て3回ともジェフ千葉は負けた。

翌日、気を取り直して熊本から新八代に出て、肥薩おれんじ鉄道に乗車。列車は不知火海沿いを進む。間近に青い海が広がり、向こうに天草が見える。山間に満開の桜が見えてきて津奈木駅。本日に限り駅員がいるとのアナウンス。「つなぎ桜まつり&新酒まつり」があるそうで、多数の乗客が降りていった。

川内駅で鹿児島本線に乗り換え、伊集院駅で降りる。ここから13時4分発の路線バスで枕崎に向かう。南薩鉄道記念館のある加世田を通る。途中から雨模様に変わり、約2時間で枕崎に到着した。列車の時間まで地場のスーパーで買い物をする。枕崎だけに焼酎の品揃えが見事であった。

枕崎駅
指宿枕崎線の終点、枕崎駅。キハ47形の2両編成が停車中(筆者撮影)

車窓の雨粒と開聞岳

15時54分発、鹿児島中央行きはキハ47形の2両編成だ。この車両が鹿児島中央まで行くのは1日3往復のみなので嬉しい。18きっぷシーズンなので乗客も多いかと思ったが、数人しかいない。空いた車内に「混雑時にはリュックサックを前に持つなど、周囲への配慮をお願いします」という自動アナウンスが響く。

頴娃を過ぎると開聞岳が間近に迫る。雨は弱く、窓に水滴が張り付いて、ときおり一粒だけぎこちなく落ちていく。駅に停車すると、ホームにできた小さな水たまりにぽつぽつと雨雫が落ちる。指宿を過ぎると徐々に乗客も増えていく。薄曇りの夕方、並行する道路にヘッドライトの反射。終点に到着する頃には立ち客もいるくらいであった。

キハ47 指宿枕崎線 開聞岳 曇り
雲に覆われた開聞岳と指宿枕崎線を走るキハ47形(写真:kogata/PIXTA)

鹿児島中央に着いたのは18時42分。19時ちょうど発の鹿児島空港行きの最終バスに乗った。実は列車が少しでも遅れたら間に合わないギリギリのスケジュールであった。

昔を重ね合わせながらキハ40の旅をしたが、どの車両に郷愁を感じるかは、人それぞれの思い出と密接であり、世代によって異なると思う。例えば私は、物心ついたときにはもう走っていなかった蒸気機関車よりも、国鉄型気動車に愛着がある。けれども蒸気機関車が行き交っていた時代の方からすれば、これらの気動車は慣れない新型車両だったはずだ。現在高校生や大学生の方であれば、今の車両に将来懐かしさを見出すだろう。そもそも技術の進歩や取り巻く環境のもと、鉄道システムそのものが進化を続けている。

車両は変わっても眺める景色は変わらない。時代の流れを受け入れて、鉄道の旅を楽しみたい。

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八田 裕之 週末旅行家

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はった ひろゆき / Hiroyuki Hatta

1967年生まれ。武蔵工業大学(現:東京都市大学)工学部電子通信工学科卒。JR全線完乗した鉄道ファンにして、Jリーグをこよなく愛する。平日は会社員だが休日はJリーグ遠征で全国奔走の日々。フュージョンバンド「Quiet Village」のリーダーとしてギターと作曲を担当、オリジナルアルバム発表、鉄道コンピレーションアルバム参加など、音楽活動も行う。

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