『ブレードランナー』(1982年)でも日本の製薬会社の広告が画面いっぱいに広がり、ハリソン・フォードが日本語しかしゃべらない親父相手にうどんを注文する印象的な場面もありました。東洋に日本という不思議な国があって、その国の文化や商品がアメリカ社会に深く入り込んでいる。そのことに対する驚きと微妙な不快感が画面からにじみ出ていた。
平和憲法がありますから、日本が軍事大国になるリスクはない。でも、経済力で世界を支配するだけの潜在能力は持っている。当時の国際社会からの評価はそういうものだったと思います。
1980年代には、世界の時価総額トップ50企業のうち32社が日本企業でしたし、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われ、「日本型経営モデル」が真剣に研究された。でも、バブル崩壊で、日本は経済活動についての指南力を喪失しました。
その後も20年近く日本はアメリカに続くGDP世界2位の経済大国だった。でも、もう世界に向けて「日本はこうやって生きていく。みんなも日本に従え」という強い言葉を発することはありませんでした。
市民の規格化が過剰なまでに進行した
――政府や政治家のみならず、メディアもそして個人も「声を上げること」のリスクが大きくなっている感じがします。人と違うことを、声を大にして主張することが損になってしまうというか。
もともと日本社会は同調圧力が強い国でしたが、バブル崩壊以後の「失われた30年」に市民の規格化は過剰なまでに進行したと思います。これは日本が貧乏になったせいです。
「パイが縮んでくる」と人々は「パイの分配」についてうるさいことを言い出す。自分の取り分を確保するためには、他人の取り分を削らなくてはならないと考えるからです。
どうやって他人の取り分を減らすか。そのために、メンバー全員を何らかの基準で格付けして、スコアの高いものにたくさん与え、スコアの低いものの取り分を減らす。それが一番フェアな分配方法だという話になった。
格付けに基づく傾斜配分という発想は、一見すると合理的に見えますけれど、実はかなり危険なものです。というのは、全員を格付けするためには、あらかじめ同質化する必要があるからです。全員に同じことをやらせないと、数値評価はできません。
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