――何かをあきらめているのでしょうか。
国際社会に対して「世界はこうあるべきだ」というメッセージを発信することは、国連に加盟している193のすべての国民国家にとっての義務だと思います。
それがどんなに夢想的なものであっても、それでもその国がどういう未来をめざしているのかについては明らかにする義務がある。しかし、日本の政治家で国際社会に向けて自分の哲学に基づいてメッセージを発した人は鳩山由紀夫首相が最後だったと思います。それ以後、アメリカ追随以外のメッセージを発信した人はいません。
日本は世界に発信することをやめてしまった
――つまり日本の世界的なプレゼンスがどんどん下がっていると。
そうだと思います。国際社会におけるプレゼンスは、軍事力と経済力だけで決まるものではありません。指南力のあるメッセージを発信する力も、国力の重要な構成要素です。それは軍事や経済とは違う、もっと叡智的で道義的なものです。
「日本は今の世界をどう見ているか」「日本は、これからの世界はどうあるべきだと思っているか」を論理的で説得力のある言葉で語ること、これはあらゆる政治的リーダーの義務ですけれども、今の日本にそんなことを本気で考えている政治家はいません。
――かつてはもっと雄弁だったのでしょうか?
主権国家だった頃は、日本は固有のプレゼンスを持っていたと思います。国際連盟ができたのは1920年ですが、大日本帝国は常任理事国に選ばれました。アメリカが議会の反対で加盟できなかったので、常任理事国はイギリス、フランス、イタリア、日本の4国でした。今から100年前の日本にはそれだけのプレゼンスがあった。
でも、軍部が暴走して戦争に負け、明治の先人たちが営々として築いたものをほとんど失った。でも、1960年代から奇跡的な経済成長を果たして、1980年代にはアメリカと並ぶ経済大国になった。短期間に国運を再生させた先人の努力は評価に値すると思います。
その時代のアメリカ人は日本の驚異的な復活に対して「畏怖」に近い感情を持っていました。映画を観るとそれがわかります。例えば、『ゴースト』(1990年)では、主演のパトリック・スウェイジは日本語を必死に勉強していますが、それはメインの取引相手が日本人なので日本語会話能力がエリート社員であるための必須条件だったからです。
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