女性の方が「器用に噓をつける」脳科学的な根拠 とりあえず「かわいい」「ウケる」もその表れ

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たしかに、学級を秩序よく保つことは、ある程度意味があることです。

しかし、そのことばかりを重視して、集団を破壊する存在として天才的な子どもが排除されるようなことがあれば、結果的に損失が大きいのではないでしょうか。はみ出し者として排除されるだけで、その子の天才性が気づかれないままになってしまったとしたら。

百歩譲って、クラスを崩壊させないために策を講じるとしても、そのために可能性を持つ存在を見捨てるような結果になるのは悲しいことです。

また、大人たちがうまくフォローすれば、何かの分野で革新をもたらすような才能が開花するかもしれないのに、日本の社会性とマッチしていないということのために排除されてしまうのだとしたら、結局は日本社会全体の損失になってしまいかねません。教育の段階で、何らかのセーフティーネットが展開されていることが望ましいのですが、今後期待されるところです。

まだ、アメリカ社会の方がある意味寛容な側面があるかもしれません。いわゆる「はみ出し者」が宗教家や篤志家などによって発見され、プロモート(向上)される仕組みがあるからです。

しかし長らく日本では、こうした子どもたちは生きづらさを10年以上感じ続けながら成長し、運良く理解してくれる人に出会うか、さもなければ海外に出るかしない限りは救われようがありませんでした。これは、社会性を重視し過ぎることの弊害、損失と言えるでしょう。

「個人主義」に適応した世代が秘めた可能性

もっとも、私や多くの読者のみなさんが幼かった頃よりは、現在の日本社会の方がより個人主義的であり、空気を読まず、仮に集団から孤立しても許容されるようになってきたという印象はあります。

その背景として考えられるのは、やはり日本が先進国として成熟し、インフラも整って、日々の食べるもの、寝るところ、つまり衣食住にあくせくするような状況ではなくなったことが大きいのではないでしょうか。少なくとも都市部では、集団内の誰かを気にして、気遣いをしていかなければ社会のリソースの恩恵を享受できない、という時代ではなくなりました。

この状況に適応した世代の人々が、かつての「集団重視が当たり前」とされてきた世代の人々から、「今の若者は劣化した」などと否定的に捉えられてしまうのは、少し気の毒でもあります。むしろ、彼らのような若い世代こそが、今の日本の閉塞感を破ってくれるかもしれませんし、今後日本に起こり得る変化に対して、対応の幅を広げてくれる可能性を持っているかもしれないからです。

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