「入ることがゴール」と若者が考えてしまう理由 自分が選択した人生をいかに肯定できるか

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舟津:今すごく納得できたことがあります。以前、ガチャの話を記事にしたとき、「そんなことぐらいみんなわかっているよ」とか、「面白がって使っているだけ、わざわざ記事にするほどなの?」という意見が見受けられました。既に経験を積んだ人たちは、ガチャといった言葉を理解し消化できる。一方で、あまりに早い段階でその言葉を与えられた人たちは、すべてをその言葉で回収する傾向が生まれてしまう。

鳥羽:そうですね。小学生が「親ガチャ爆死」とか言ってるのを聞くと頭を抱えてしまいます。親にはいろんな側面があるのに、言葉だけが先行してしまう。

舟津:それこそが、「教育に悪い」ということなんですよね。自分の親と馴れ合えるくらい関係を消化しきった大人たちが「親ガチャ」と言うのと、小学生が「親ガチャ」って言うのはまったく意味が異なります。きっと「ハラスメント」とか「差別」も一緒で、言葉と経験が重なって、リアルなものとして自分の中に蓄積されていかないと、すべて言葉に回収されていく。

嫌な気持ちになったり怒鳴られたりした経験を重ねた後に「ハラスメント」という言葉を覚えたら、「これはそれだな」「これは違うだろうな」っていう判断基準が身につくのに対して、先に言葉を覚えると、何でもそこに帰着してしまう。

何もかもハラスメント扱いの弊害

鳥羽:本当にそこが問題なんですよね。いまは「男性性」への風当たりがほとんど無条件に強いところがあって、真面目な若い男性の中には、自らの男性性を否定するあまりに苦しくなって鬱になっている人もいます。その人たちは自分の欲望が全否定されたように感じていて、自分なんて生きる甲斐がないと本気で信じているところがあります。

舟津:それはすごくわかります。今の社会的な望ましさ、社会が設定した欲望に従うと、男性性を出さない人のほうがウケる感じがある。真面目な人はそれを文面通り受け取ってしまって、「自分から男性性を消せない」とか悩んでしまうんだけど、かたや男性性なんて消えないに決まっていることをわかって、しれっと演じられる人もいる。

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