「入ることがゴール」と若者が考えてしまう理由 自分が選択した人生をいかに肯定できるか

ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

舟津:そうなんですよね。受験産業や学校は、どうしてもその内情の発露をタブー視します。でも、経営学はそのタブーをばらす学問でもあります。企業側はビジネスとして、こういう構造であなたたちの欲望を掻き立てているんだよと。

鳥羽:子どもには、大人の考えていることが最初からうすうすバレていますからね。うすうすバレてるけど建前だけはあるということが、大人と子どもの関係を守っている側面もあるわけですが。ただ、こういう経営の話は、ある程度の年齢以上になればそれを伝えたとしても幻滅することはないし、むしろ自分のポジションを確認するために必要なことだったと感じる子もいるでしょう。

学問を信じる力が自分を信じる支えになりうる

鳥羽:今の教育のお話に関連するものとして、舟津さんの本を読んでもう一ついい言葉だなと思ったのが、「内定がなかったとてどうにかなるのだ、という余裕を持つために、知性へのゆるぎない信頼を持つために、教育がある」というものです。この点について詳しくお話をお聞かせ願えますか。

舟津:この一文では、デカルトの「我思う、ゆえに我あり」という著名なフレーズをイメージしました。このフレーズを解説した本に「あらゆるものを疑った末に、自分の思弁だけは疑いようがなかったという、知性への絶対的信頼を表現している」という解釈があり、とても心に響いたんです。哲学的に深く考えていくと、あらゆるものが疑わしくなる。しかし、考えている自分自身の存在だけは確信できうる。それが知性へのゆるぎない信頼なんだと。

もう一つの意味は、実は自己投影でもあります。私はいわゆるポスドクといういろいろ不安定な身分のなか、自分は社会で胸を張って生きてはいけないんだろうな、という疎外感をもちながら過ごした時期がありました。私は正直、社会にあまり馴染めなかった人間なんです。今も、馴染めている自信はさしてありません(笑)。

その経験を通じて、どうやったら生きていけるのか再考したとき、安定した職を得ることは当然必要です。それは社会が設定した欲望とも一致します。「まともな人間は大学を4年で出て就職して、いい会社に入って、成長ややりがいを感じて」っていう。

ただ、大学が確実に就職予備校になりつつある現代で、映画監督の是枝裕和さんが「お気に入りの城」って表現されたような、個々人が、この城を守れていたら自分は大丈夫なんだと思えるようなことを、学問や教育は伝えることができるはずなんです。

次ページビジネス化する社会で大学が教えられること
関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事