「入ることがゴール」と若者が考えてしまう理由 自分が選択した人生をいかに肯定できるか
舟津:ただ、それは高いお金を出した一瞬しか得られないものです。だから、人生をテーマパークのように楽しむことはできない。やっぱりテーマパークほどビジネス依存ではないものを探せるようになってほしいなとは思います。ビジネスは、お金を払った瞬間しか面倒をみないのが当たり前なんだから。
鳥羽:そうですよね。もう高校生くらいになれば、そうした経営的なネタバレは知っていたほうがいいような気がします。私も塾に来ている高校生には、「基本的に教育産業っていうのは不安を売る産業だから」というのを平気で言っています。「だって、大学受験が心配だから来てるわけだけど、実はそういう将来への不安ってある程度作られたものなんだよ」と。
でも、それを聞いて子どもたちのやる気がなくなるかっていうと、全然そうじゃない。むしろ自分なりの納得の仕方を見つけようとする。だから、高校生くらいの年齢にもなれば、そのからくりは伝えていいと思う。ビジネスのノリを真実と受け取って不幸になる子もいると思うので。
入っただけで無条件に幸せになれるわけではない
舟津:間違いないです。大学受験で人生が決まると信じ込んで、頑張りきって、「よし、自分は幸せのルートに乗っている」と思って入学してみると、無条件で幸せになれるような場所はどこにもない。拍子抜けするでしょうね。
鳥羽:実際それで大企業を辞めた卒業生もいますし、東大・京大を辞めた子もいます。たぶん、受かったら幸せが待っているような気持ちがどこかにあったんでしょうね。
舟津:東大だと、「自分が東大生だと思うだけで幸せであり続けられる」って人はいるみたいですけど(笑)。あえて言うと、だいたいキャンパスライフなんて期待したどおりにはなりません(笑)。サークルや遊びなど、想像通りの平凡な楽しみは享受できる。でも、それは別にどの大学でも同じようなものですし、入学した時点で圧倒的な手応えを得られるわけがないと思いますね。
鳥羽:それなのに、それを期待して入る子がいるんですよね。頑張った見返りがちゃんとあるはずだって信じている。でも、それは受験産業や学校に責任があるとも思いますけどね。