「三権分立はフィクション」と泉房穂が断じる根拠 そもそも議会は「富裕層」のためのものだった

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それが噓っぱちだと気づいているからこそ、多くの国の人々は、権力は常に暴走するという危機感とともに、監視役であるメディアの重要性を強く認識しているのだと思います。

イギリスの思想家ロックが唱えたのは「二権分立」でした。彼の論において司法権は分立しておらず、裁判所と行政が一緒になっています。現実も、これに近いのではないでしょうか。

総理大臣が最高裁の裁判官を任命する権利を持っている以上、司法が行政から完全に独立できるわけがありません。最高裁は、当然のことながら時の権力者に「迎合」するしかありません。

裁判所は公明正大な判断を下す、という「勘違い」

私は教育学部卒ですが、若い頃に師と仰いでいた政治家・石井紘基さんから「泉くん、政治家を目指す前に、まずは弁護士になれ。本気で人のために尽くして、世の中のことをもっと深く知りなさい」と言われたことをきっかけに、司法試験を受験、30代の時には明石市で弁護士として働いていました。

司法の世界は狭いので、最高裁の裁判官などにも顔見知りが何人もいます。いわゆる権力におもねるタイプの人たちが多く、ゴマすりが上手な人たちが出世していって最高裁に辿り着く。国にケンカを売るような判決文を書く人は、最高裁には辿り着けません。

もちろん心ある裁判官もいます。勇気ある判決文を書いた判事もいます。しかし、そのような裁判官はいずれも地方の裁判所に飛ばされ続けて終わり、最高裁まで辿り着くことはないのです。

最高裁で働く友人は、「泉、お前はいろいろ好き勝手に言っているが、自民党とケンカなんかできないんだよ。忙しいなかで人を増やしてもらおうと思っているところに、予算を削られでもしたら大変なことになる。"わかっているだろうな"と自民党からジロリと睨まれつつ、頭を下げて予算を通してもらっている状態で、政治的なことに違憲判決なんか出せるわけがないんだよ」と言っていました。本音でしょう。

最高裁判所など、単なるゴマすり役人集団です。それを世間は勘違いしていて、裁判所は中立で独立した司法権を持っており、公明正大な判断を下せるなどと思い込んでいるのです。現実は小学校や中学校の教科書どおりになんて動いてはいません。

基本的に、裁判所というのは時の権力の下僕のようなもの。時の権力が逮捕した人が政治犯として有罪にされていった歴史をみれば、裁判所が中立なわけがないのです。

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