「三権分立はフィクション」と泉房穂が断じる根拠 そもそも議会は「富裕層」のためのものだった

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検察庁も似たようなものです。検察は行政機関の1つですが、今回の自民党派閥による裏金問題には、そもそも本気で切り込む気がなかったのだろうと思わざるを得ません。結局は、会計責任者ら7名と安倍派の所属議員3名を立件したのみで、安倍派幹部は誰一人起訴されずに手打ちとなりました。

そもそも、検察庁自体も裏金疑惑と無縁ではありません。2002年、当時現職の大阪高検公安部長が、テレビ朝日の『ザ・スクープ』という番組で検察庁の内部で密かに行われてきた裏金づくりの実態を告発しようとしていたところ、その収録の数時間前に、いきなり過去の微罪によって逮捕、起訴されて実刑判決を受けるという事件が起きます。

裏金づくりをリークしようとした部長の口を封じるために検察が動いたとしか思えない展開でした。

自分たちが裏金疑惑にまみれている検察に対して、自民党の裏金問題を徹底的に洗い出すのではないかと期待するほうが無理なのかもしれません。

議会は「個別利益」代表者の集合体にすぎない

司法の独立を期待するのは難しいとして、国権の最高機関たる国会はどうでしょうか。国民の代表者を選挙によって送り込む議会制民主主義こそが、多様な民意を国政に反映させるために必要だというのが私たちの常識となっていますが、果たしてそうでしょうか。

私の敬愛する政治哲学者ルソーは、はるか昔から議会の欺瞞性を鋭く見抜いていました。議会の議員たちは、「社会一般の普遍的正しさ」つまり「一般意志」の代弁者ではない、というのがルソーの考えです。彼らは、自分を選挙で選んでくれた業界や地域を代表しているに過ぎない、と。

つまり、国民全体の代表者ではなくて、個別利益の集合体、個別の欲望である「特殊意志」の集合体としての「全体意志」が議会であって、これは社会全体の人々の「一般意志」とはまったく別のものであるとルソーは看破していました。

実際、労働組合、宗教団体、地域、企業の集合体など、それぞれのノイジーマイノリティから送り込まれた議員たちで構成された議会において、多数決によって物事を決めようとしたところで、自分を支持してくれた集団の利益を守る方向に進んでいくに決まっています。

そんな「特殊意志」の集合体に過ぎない「全体意志」に、社会全体のための合理的な判断など期待できるはずもないのです。

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