興味深く描かれる人物像や逸話
「もはや『戦後』ではない」。1956(昭和31)年版の年次経済報告(経済白書)に記されたこのフレーズは、時代の気分を象徴する名文句として人口に膾炙(かいしゃ)した。だが、このフレーズを世に送り出した官庁エコノミスト・後藤譽之助(よのすけ)のことは、必ずしも広く知られているとはいえない。本書は、この隙間を埋めるべく執筆された「バイオグラフィの一つの試み」である。
16(大正5)年に東京市本所区(現・墨田区)に生まれた後藤譽之助は、旧制一高から東京帝国大学工学部へと進み、41年に当時の電気庁に入った。エンジニアとして役人生活を始めた譽之助は、戦後間もなく経済安定本部に移り、エコノミストへ転身を果たす。そこで誕生したのが独特の語り口を持つ「譽之助調」の経済白書だ。52年から58年まで内国調査課長として主筆を務めた譽之助の手になる白書は、無味乾燥になりがちな政府文書にジャーナリスティックな感覚を持ち込み、一般の人に向けて経済の実相をわかりやすく伝えることで好評を博した。
本書は後藤譽之助というエコノミストを通じて戦後復興期から高度成長初期にかけての日本経済を振り返るという構成をとっているが、それとともに譽之助の人物像や逸話も興味深く描かれている。関取の長男として下町で育った譽之助は落語好きの少年で、このことは「人に分かるように話して聞かせたいという講釈好き、講演好きに発展した」と著者は言う。
今年も間もなく経済財政白書が公表される。データの整備と分析手法の発展によって、譽之助の時代と比べると分析は格段に精緻化されたが、残念なことに最近の白書にかつての輝きはない。「白書がジャーナリズムと共にあり国民と共にあった幸せな時代」は取り戻すことができないのだろうか。=敬称略=
青地正史(あおち・まさふみ)
1949年京都市生まれ。2004~15年富山大学経済学部准教授を経て教授。経済学博士(京都大学)。専門は近現代日本経済史。著書に『戦前日本の企業統治──法制度と会計制度のインパクト』、共著書に『東アジア地域統合の探究』など。
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