日本では、サイズ的にも価格的にも、セダンは「5でなくて3」とする人が多かった。ただ、それでも初代はとにかく高価だった。BMWジャパンが1981年に設立されるまで、高嶺の花だったのだ。
1970年代のおわりに4気筒の320iで、価格はおよそ400万円。同時期の日産「スカイライン」(C210型、通称ジャパン)が100万円台で買えた時代である。「外国製だから高く売る」なんて、日本は後進的だったのだ。
今40代の人に、3シリーズのイメージを植え付けたのは、1990年に登場した3代目のE36だろう。凝縮感があって、ちょっとコンパクトだった2代目(E30)に対して、3代目のボディは伸びやかな雰囲気があった。
このころ、BMW車も価格が“まっとう”になり、現実的な選択となっていたのも、人気拡大に寄与した。3シリーズは、日本のプレミアムモデルに対して「より乗って楽しく」「より質感があり」「よりブランド性が高い」と、少しずつポジションが上がっていった。
GT-Rやセルシオが生まれた中でも
欧州車に対して、日本メーカーが“反撃”を開始したのが、1980年代後半から1990年代前半にかけてのこの時代。ご存じのとおり、日本のメーカーは、ドイツの高性能車をライバルととらえて、さまざまなモデルを送り出した。
スピードでいうと「スカイラインGT-R(R32)」などは上を行ったし、静粛性と乗り心地では「セルシオ(F10)」が光っていた。それでもE36には、このクルマにしかないものがあった。
私が覚えているのは、ひとつがハンドリング。サスペンション形式が、従来のセミトレーリングアームからマルチリンクへと変わったのだ。
フロントは従来のマクファーソン・ストラットのままだったが、古いかというと決してそんなことはなく、ハンドルを切ったときに車体がじわっとロールしていく感じが、ドライブしている自分の感覚によく合い、たいへん気持ちよかった。
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