「育ててもらった両親はすごくいい、素敵な優しい人たちだったから、(私は)何も苦労していないし、怒られたこともない。だけど生まれたところの家はいろいろあったみたいなので、こちらで育てられてよかったなって今は思います。実は(育ての)父と母も両方養子として育っていて、いろいろ複雑なんです。だから、私の気持ちもわかってくれる人たちだったと思います。
性格は(血縁の)親に似ているのかもしれない。おっちょこちょいでよく動くのは、私の性格。実の子で生まれた妹は、おとなしめなんですよね。全然違うんです。(血縁の親からも育ての親からも)いいところを全部もらったと思っていいのかなって(笑)」
事実を知って20年抱えた「私は必要ない」という思い
こんなふうに今は自身の出自を前向きに捉えている弓子さんですが、最初からこうだったわけではないようです。弓子さんは事実を知った後、長い間「自分は要らなかったのに」という思いを拭えなかったといいます。
「テレビの訪問で事実を知ってから、『私は(実の親には)必要なかったの』『なんで』と思ってましたね。マイナス思考で、暗い感じだったと思います。だけど(自分の)子どもが3人いて育てなきゃいけないから、そんな感情はあまり出さず、ただ日々行動していましたね」
気持ちがほどけてきたのは、テレビの突撃で出自を知ってから十数年後、弓子さんが40代後半になった頃でした。血縁の両親と直接、会うようになったのです。
2人は弓子さんを育ての親に託した後、離婚していたのですが、実母とはその後よく会うようになりました。また実父も亡くなるまでの間、弓子さんが一人で面倒をみていたといいます。
血縁の両親と接するうちに、だんだん気持ちが落ち着いたんですか? そう筆者が尋ねると、弓子さんは軽く「そうですね」と答え、「今でも、実母とはよく電話で話をする」と教えてくれたのでした。
よかったよかった……と言いたいところですが、まだちょっと気になることもあります。実父が他界して半年ほど経った頃、弓子さんはなぜか急に「てんかん」の発作を起こすようになったというのです。
「脳波を調べてもわからないので、心因性のものだと思っています。(実父が亡くなって)よっぽど何か、自分のなかですごい変化があったんだろうなと思って」
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