三軒茶屋が「若者の街」へとひっそり変貌した理由 全国へ波及する飲食トレンドがこの街から生まれる
コロナ禍の影響が落ち着いてきてからは、三軒茶屋の酒場はさらに活況を呈している。飲み控えていた人たちが外出し始めたのに加え、コロナ禍で三軒茶屋にとどまった人たちはそれぞれ三軒茶屋で“行きつけ”を見つけ、もう渋谷や新宿に出向く必要がなくなってしまったようだ。
こうして三軒茶屋の酒場マーケットがさらに盛り上がり、多くの実力派酒場が参入している。コロナ禍を経て、三軒茶屋に業界的にも注目される繁盛店が次々と誕生した。
例えば、茶沢通りにオープンした「赤星」。同店は千歳烏山「酒場アカボシ」と渋谷「タートル」という人気店を作ったグループ。実績を重ねて満を持して三軒茶屋に殴り込みをかけたかたちだ。
飲食関係者はこぞって三軒茶屋に視察に訪れ、その店づくりを参考にしている。
名古屋に「三軒茶屋」が誕生…三茶が概念化?
三軒茶屋の酒場で見かけた料理やドリンクが、他のエリアでもインスパイヤされて提供されていることもしばしば。三軒茶屋の酒場で生まれたトレンドがそのまま全国的なトレンドとして広がっている。
象徴的な出来事として、名古屋・栄に2020年12月にできた、「三軒茶屋」という居酒屋について少し触れたい。
調べてみると、オーナーはかつて三軒茶屋に住んでおり、三軒茶屋の街が大好きなあまり作った店だという。店の内装やメニューは、まるで三軒茶屋にありそうな「ネオ酒場」(昔ながらの大衆酒場のレトロな風情を残しつつ、現代風のモダンな雰囲気のある酒場のこと)をそのまま名古屋で再現している。さしずめ名古屋に現れた“リトル三茶”だ。
三軒茶屋という屋号を掲げることがステータスになるというほど、三軒茶屋の酒場が「イケてるもの」だという証左のようになっている。
ところで、全国各地には「銀座」を冠したスポットがいくつも存在する。代表的なのは東京都品川区の商店街「戸越銀座」。関東大震災で壊滅した銀座の街に残ったレンガを戸越の再生に役立てたことからその名前が付いたという。
そもそも「銀座」の名前は江戸時代に銀貨の鋳造所があったことに由来するが、現在も老舗百貨店や高級ブティックが並ぶように、昔からさまざまな商店が立ち並び、つねに日本における最先端の文化の発信地として君臨していた。これらのエピソードが転じて、「銀座のような賑わいのある場所」を表す代名詞として各地に”リトル銀座“が広がったというわけだ。
これになぞらえ、遠く離れた名古屋に”リトル三茶“が生まれたのは、「三軒茶屋」は最先端の酒場が栄える場所の象徴であるということではないだろうか。
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