三軒茶屋が「若者の街」へとひっそり変貌した理由 全国へ波及する飲食トレンドがこの街から生まれる
酒場目線で振り返る近年の三茶の歴史
昔から酒場カルチャーの強い街として知られているが、かねてそれを牽引してきたのは、何といっても三角地帯だ。
おおよそ駅を基点に二股に分かれる国道246号線と世田谷通りに挟まれた三角形のエリアを指しており、戦後の闇市をルーツに発生したと言われている。
令和の現在も昭和情緒の漂う小さな居酒屋やバー、スナックなどディープな店が所狭しと並び、呑兵衛御用達のスポットである。
近年では三角地帯以外にも三軒茶屋では至るところに新しい酒場カルチャーが波及している。新鋭の酒場が次々に登場しているスポットの一つが、三軒茶屋と下北沢を南北につなぐ「茶沢通り」だ。
およそ2010年以前の茶沢通りは昼こそにぎわうものの、夜にはにぎわいは鎮まっていた。潮目を変えたのは、2013年にオープンした「すこぶる」だ。たちまち人気店となり夜のにぎわいが生まれた。その成功に倣えと言わんばかりに茶沢通りに次々と酒場が登場し、通り全体が盛り上がっていった。
さらに、茶沢通りに交差する太子堂商店街には2014年創業の「三茶呑場マルコ」がいる。三茶住みならその名前を聞いたことがある人も多いであろう、街を代表する人気酒場だ。「New MARCO(ニューマルコ)」「COMARU(コマル)」「食堂かど。」など、近隣で複数の系列店もドミナント展開し、ますます存在感を強めている。
老舗だけでなく新鋭も入り交じり、年を追うごとに酒場の盛り上がりを見せていた三軒茶屋だが、コロナ禍で大きな変化が起こった。
周知のとおりコロナ禍ではリモートワークが進み、渋谷や新宿のようなビッグターミナルは一時ゴーストタウンと化した。
人々は1日の大半を自宅の近場で過ごすようになった結果、近辺に住む人々を中心に、三軒茶屋に人が流入。緊急事態宣言中の三軒茶屋の人出はすさまじく、昼は買い物などに出かける人であふれ、夜は夜で、平時よりは少ないものの飲み歩く人は相当数いた。自粛中と言えど「渋谷に行くのは罪悪感があるが、自宅近くならいいだろう」という心理も働いたのではないだろうか。
営業を自粛する店もある中で、営業を敢行する店も少なくはなかった。ところがそれ以上に人出があり、「緊急事態宣言中に、三軒茶屋でひとりで飲もうと店を探したものの、どこもいっぱいで、街中を歩き回ったものの入れなかった」という話を複数人から聞いたことがある。それくらい、当時の三茶は、「酒場難民」であふれていたのだ。
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