「トランプ有罪」判決は大統領選に何をもたらすか 「口止め料裁判」ですべての陪審員が有罪の評決

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ただし、映画は「真犯人」を明かすわけではないし、少年の容疑は最後まで完全に晴れるわけではない。それでも「疑わしきは罰せず、被告人の利益に」が原則であり、日本と違って無罪判決が出た被告に対して検察は控訴できない。

「陪審員制度の仕組みの本質」とは何か?

この映画を初めて見た際に、筆者は「本当にこれでいいのか?」と一抹の不安を感じたことを記憶している。何が正義か、といった重大なことは素人の陪審員ではなく、できれば権威のある誰か「偉い人」に決めてもらう方がいいんじゃないだろうか?

しかるにアメリカの流儀で言えば、そんなことを認めたらエリートの暴走を止めることができなくなる。彼らはそういうことが嫌で、新大陸に渡ってきた人たちの子孫なのである。ゆえに有罪か無罪かは、普通の人々の感覚で決めなければならない。陪審員制度とは、「正義とは何か?」を自分たちに身近な感覚で決めるための仕組みなのである。

映画には個性豊かな12人が登場するが、11番の陪審員は移民の時計職人である。英語の訛りが強く、そのことを周りから冷やかされているが、陪審員を務めることに対して、ほかの誰よりも強い責任を感じている。その彼がこんなことを言う。

「われわれには責任がある。
これが実は民主主義の素晴らしいところだ。
郵便で通告を受けるとみんながここへ集まって、
まったく知らない人間の有罪、無罪を決める。
この評決で私たちには損も得もない。
この国が強い理由はここにある」

陪審員制度の本質は、なるほどここにある。赤の他人が有罪か無罪か、そんな重たいことを決めなければならなくて、しかも選ばれた本人にとっては何の得にもならない。膨大な時間を裁判の傍聴に費やし、それにはたいした見返りもなく、しかも最後は審理で「12人全員の意見の一致」をみなければならない。たいへんにストレスフルな仕事であろう。

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