1924年4月1日の段階で、ヒトラーは恐怖に陥れられているべきだった。その4カ月半前、ヒトラー率いるナチ党はバイエルンの州都ミュンヘンでクーデターを起こし失敗していた。イタリアのファシスト、ムッソリーニの「ローマ進軍」に刺激されたヒトラーは、支持者をベルリンに進軍させ、ヴァイマル共和国の民主制を打ち砕く計画だったのだ。
ヒトラーのクーデター未遂
反乱は23年11月8日午後8時すぎに始まり、ヒトラー一派は政治集会に突入して群衆を人質に取った。権力掌握の試みは翌日、ヒトラー率いる武装反乱勢力が、オデオン広場に陣取る警察と軍に行く手を阻まれて終結した。つかの間の銃撃戦で4人の警察官が死亡。ヒトラーの隣にいた人物も撃たれて死んだ。その弾みでヒトラーは姿勢を崩して肩を脱臼。苦悶の中、その場から逃走した。
潜伏から2日半後、ヒトラーは米ハーバード大学卒のナチ党幹部の家でかくまわれているところを発見される。反逆罪で起訴されたヒトラーの裁判は24年2月26日に始まった。検察はヒトラーを反乱の「魂」と呼び、厳罰を求めた。
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