高校でも美術の成績は5段階で「3」だったそうですが、ついていけなくなった理系の勉強よりは、まだいい成績だと思えたようです。
デッサンの勉強をする必要があると考えたえずみさんは、千葉美術予備校に入ることを決断します。
しかし予備校に入学してからの講師との面談で、えずみさんは志望校の変更を提案されたのです。
「『志望校はどこ?』って聞かれて、『日大の芸術学部です!』と答えたのです。すると、『そこに行きたいなら、内部推薦で行けるし予備校はいらないよ!』って言われて。『えーっ、せっかく入ったのに!(笑)』と思ってしまいました。
美術の知識がまったくなくて、美術系の大学を知らなかったので、『どういうところを目指せばいいのか?』を聞いたところ、武蔵野美術大学と多摩美術大学を勧められました。その言葉に流されて、『じゃあそっちを目指します!』と、軽く志望校を決めてしまいました」
ゼロどころかマイナスからのスタート
こうして内部進学を選ばず、外部の大学受験の道を選んだえずみさん。人と違う道を進むことに、葛藤や恐れはなかったのでしょうか。
「私は小さいころからやればできたタイプなので、あまり恐怖心はなかったんです。今までの人生で成功体験を積んできていたから、新しい挑戦も『いけるんじゃない?』と考えられました。このときは自分が浪人するとは、一切思っていませんでした(笑)」
両親も美術の道に進むことを応援してくれたと語るえずみさんは、持ち前のプラス思考で、新しい世界に挑戦することを決めます。
こうして、コロナ禍が少し落ち着いた6月以降から、学校に通いながら、予備校にも毎日通う生活が始まりました。
予備校で「ゼロどころかマイナスからのスタートだった」えずみさんは、鉛筆の削り方から教えてもらったそうです。平日は3時間、土曜日は7時間の授業があり、ずっと絵を描き続けていましたが、作品の評価は低いままでした。
「私の周囲は、長い間絵を描いてきた人ばかりで、自分は『浮いている』と感じました。
通った予備校の授業では、作品を書いた後に先生による講評があり、『上』・『中』・『下』の棚に、それぞれ作品が置かれていきます。『上』はまぁどこでも受かる、『中』はどこかにはもしかしたら受かる、『下』はほぼ受からないという感じです。
私の作品はずっと下段の棚でしたね。夏休み終わりにコンクールと呼ばれる予備校内の模試もあって、そこで受講生全体の順位が初めてはっきり出たのですが、私は予備校にいた10人の中で最下位の成績を取ってしまいました」
無料会員登録はこちら
ログインはこちら