高齢者定義「65歳→70歳」引き上げで起こる"困惑" 年配の人々のあり方が多様化した今、考える事

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社会構造の高齢化と国力の減退、そして将来収入まで予測できてしまっている国の財政のセットで「解のない数学の問題」を解こうとして、「高齢者は70歳から」という別解を持ち出したということなのだと思います。

高齢者になれない人たちはどうする?

実際問題として、高齢者の定義が5年引き上げられたら、ごく単純に考えても、5年ぶんの「やりたいこと」や「収入の確保」について考えないと、高齢者になれない「中齢者」とでもいう人たちの時間を持て余すに違いない。焦るし、その焦りは多くの「同時代を生きる人たち」が納得してくれる感覚であると思われます。

そして、ほどなく――本当にほどなく、おそらく20年も経たないうちに、われわれはあのころの感覚はまだまだ平和だった、甘かったことを思い知らされるのでしょう。

段階的に引き上げられた挙句、高齢者の定義は90歳になっていて、中齢者となった、かつての高齢者といわれていた人たちは、それでも日々を生きているのだと想像できるのです。

高速道路の逃げ水のごとく、高齢者というゴールがどんどん遠くなっていく今となっては、少なくとも制度や政治のせいにしている場合ではないのでしょう。

だから、中齢者としてできることを考えていかなければなりません。

年をとるにつれて誰しもがよくやるように(筆者自身もついやってしまうのだけれど)、「もうこれはやらなくていいかな」「新しいことを始めるのはしんどい」と、自ら行動を狭めてしまうことは有り余る時間を持て余すことになり、損だと思います。

医療者から見ても、あれこれ「やめる」ことで、外出が減り、人との交流がなくなり、思考の機会が減ってしまえば、心身のストレスを増やし、身体能力を保つことに大きくマイナスに働くので、よくありません。

外出や人との交流を減らさないことへの一歩として、億劫がらずに、見た目の若さを保つために、服装やちょっとした所作に気を付ける(イスから立つときに、「どっこいしょ」と言わないとか……)ことから始めればいいと思うのです。

前述した「高齢者呼ばわりは嫌だ」という積極的な姿勢は、これからの時代をサバイバルしていくうえで、とても重要だと思います。

今の60歳前後の人は60代では高齢者になることを(少なくとも気持ちの問題としては)進んで放棄し、「これからの10年でやることリスト」を徹底的に見直し、充実させていけばよいと思うのです。

奥 真也 医療未来学者・医師

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おく しんや / Shinya Oku

1962年大阪府生まれ。医療未来学者、医師、医学博士。経営学修士(MBA)。大阪府立北野高校、東京大学医学部医学科卒。英レスター大学経営大学院修了。東京大学医学部附属病院放射線科に入局後、フランス国立医学研究所に留学、会津大学先端情報科学研究センター教授などを務める。その後、製薬会社、医療機器メーカーなどに勤務。著書に『未来の医療年表』(講談社現代新書)、『医療貧国ニッポン』 (PHP新書)、『人は死ねない 超長寿時代に向けた20の視点』(晶文社)、共著に『死に方のダンドリ』(ポプラ新書)がある。

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