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「敵なし」ナリタブライアン1994年皐月賞の舞台裏 衝撃の三冠達成から30年、関係者が語ったこと

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  • 鈴木 学 サンケイスポーツ編集局専門委員
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皐月賞前日の、中山競馬場でのナリタブライアン陣営の異常な緊張ムードを作ったのは大久保正陽の不在だった。

張本人はナリタブライアンがクラシック初戦を迎えようとしている時、栗東トレセン近くの自宅で病に伏せていた。発表は風邪をこじらせたためだったが、実際は盲腸炎を悪化させて腹膜炎で苦しんでいたという。

調教師不在のなか、調教助手を務めるふたりの息子・雅稔と龍志(りゅうじ)を中心にスタッフが一丸となって厩舎を支えた。しかし、さすがに中山競馬場への出張だけは村田に任すしかなかった。そのため村田は取材陣の対応に苦慮することになってしまった。

「厩舎内の取材を控えて」と通達

大久保正陽が病気になったことで中山に行けたのは村田と、村田より4つ若い調教助手のふたりだけ。栗東トレセンでは、大久保正陽の名でJRAを通して「厩舎内の取材を控えるよう」と通達を出したことで、混乱はなかったが、出張馬房まではその効力がなかった。

中山競馬場に入厩(にゅうきゅう)した木曜日にカメラマンとの間で撮影を巡ってちょっとしたトラブルがあった。レースの前日に、ある記者がナリタブライアンの馬房の鼻前に立ったことで、その日の取材を拒否したというのだ。

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村田は作家の木村幸治に、このような趣旨のことを話している。

「なんとも言えない気持ちでした。マスコミの取材攻勢にあって、初めてのことですから面食ってどうしたらいいのかわからなかった。プツンと切れてしまった時がありました」

さすがにナリタブライアンの鼻先で写真を撮るようなことはしなかったが、僕もこの取材拒否には反発したひとりだった。

これをきっかけに、北海道では一緒に食事をしたり、世話をする愛馬が勝てば祝福の電話を入れたりしていた仲に亀裂が入ったと感じ、以前のようにフランクに話せなくなった自分がいた。

あの一件以来、マスコミは報道の権利と義務をただ振りかざすのではなく、取材対象者にもっと配慮すべきではないかと自省してきた。

もしあの時に戻れるのなら、私は村田光雄の気持ちを慮(おもんばか)って取材をするだろう。

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