『大鏡』では「風流者」と評されているように、花山院は、優れた和歌を詠み、絵画や建築、工芸、造園にも才を発揮した。
あるときは牛車を入れる車庫に着目。傾斜を設けることで、緊急時に人の手を借りることなく、牛車が「からからからと」自動的に出てくるしくみを考案したこともある。奇行ばかりが注目されがちだが、実は多才な人だった。
花山院は41歳で生涯を閉じた
そんな花山院の人生を、随筆家の白洲正子は『西国巡礼』で次のように表現している。
「たとえどんなに辛い一生でも、偽わりの出家を機縁として、王座を蓮座にかえて一念を完うされた院は、やはり希にみる幸福な人間といえよう」
晩年は菩提寺に隠棲していた花山院。寛弘5(1008)年2月8日、京都の花山院で崩御し、波乱に満ちた41歳の生涯を閉じた。
【参考文献】
山本利達校注『新潮日本古典集成〈新装版〉 紫式部日記 紫式部集』(新潮社)
倉本一宏編『現代語訳 小右記』(吉川弘文館)
今井源衛『紫式部』(吉川弘文館)
倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社現代新書)
関幸彦『藤原道長と紫式部 「貴族道」と「女房」の平安王朝』 (朝日新書)
繁田信一『殴り合う貴族たち』(柏書房)
白洲正子『西国巡礼』 (講談社文芸文庫)
真山知幸『偉人名言迷言事典』(笠間書院)
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら