「世界の労働者の叫び」メーデーの意味を問い直す 歴史から振り返るメーデーが持つ意味

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1889年パリではフランス革命100年祭を祝っていた。エッフェル塔がそれを祝う建築物として建設され、万国博覧会も開かれていた。一方で労働者たちが集まって、2回目の国際労働者協会が新たに創設された。

その中心にマルクスの友人フリードリヒ・エンゲルスがいた。ここで正式に、第二インターナショナルとして5月1日のメーデーが問題となる。1893年に5月1日が正式に第二インターナショナルでメーデー(労働者の祝典の日)と定められる。 

もちろんそれがすぐに世界で普及したわけではない。5月1日にそろってメーデーとすることになるのは1904年のアムステルダム大会であり、日露戦争の問題が取り上げられたこともあり、日本の労働運動家・社会主義者の片山潜(1859~1933年)なども参加していた。

十数年で禁止された日本のメーデー

ではわが国ではどうだったのであろうか。日本でも大正デモクラシーの時代1920年に1回目のメーデーが行われている。

しかし関東大震災、治安維持法の施行などで次第に政府の弾圧が強化され、開催が困難になっていく。2.26事件のあった1936年にメーデーは禁止される。

イギリスにいた芸術家の岡本太郎の母である作家・岡本かの子は『英国メーデーの記』(1930年)の中でイギリスのメーデーについてこう書いている。(編集部注:「英国メーデーの記」は青空文庫で全文を読むことができます)

「それほどこの行列は内容を脱却した英国人通弊の趣向偏重に陥って居る。儀礼的な形式主義に力の角々を嘗め丸められてゐる」

第二インターナショナルで5月1日をメーデーの日にしたといっても、各国の労働者は一枚岩ではなかった。そのため、デモ行進もそれぞれの国の状況にしたがって、ある意味牙を抜かれ平和的な儀礼的デモ行進に変わっていたともいえる。

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