「世界の労働者の叫び」メーデーの意味を問い直す 歴史から振り返るメーデーが持つ意味
杉浦正男と西村直樹の『メーデーの歴史 労働者のたたかいの足跡』(学習の友社、2010年)にそってその歴史を辿ってみよう。
1864年に国際労働者協会が誕生した。これは国境を超えて労働者を団結し組織化しようという組織で、その書記長はあのカール・マルクスであった。
マルクスの手になる綱領には、労働者が実現すべき問題として、貧困、労働時間、協同組合、そしてアメリカの奴隷解放などが書かれてあった。
メーデーの始まり
やがてその意を受けて1866年、ジュネーヴで第一インターナショナルの総会が開催されるが、その大会で労働時間の短縮という問題が重要議題となる。当時は10時間労働が一般的で、8時間労働日を要求するという運動方針が決まる。
この動きを最も強く受けたのが、海の向こうのアメリカ合衆国の労働者だった。アメリカ労働総同盟は、1886年5月1日から8時間労働を掲げて大規模なストライキを起すことを決議する。
とりわけ労働運動の中心地だったシカゴは5月1日からストライキに入る。しかし、これに対し5月3日にマコーミック農機具工場のストライキに警察が介入し5人の死者を出す。
それに抗議する労働者1万5000人がシカゴのヘイマーケット広場に集まり、そこに警察が銃を持って集会を蹴散らし、4人の労働者と7人の警官が死ぬという事件が起こる。これが「ヘイマーケット事件」で、この事件からメーデーの歴史が始まる。
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