午後7時ごろになってようやく、提出物のチェックや授業準備といった「自分の仕事」に取りかかれる。退勤は毎日、午後10時ごろになった。
連日、在校時間は15時間ほどに上った。注意して見守っていたからか、幸い大きなトラブルは起こらなかった。次は子ども同士の関係を深めてもらおうと考え始めた矢先、体に異変が起こり始めた。
胸が痛み、息が苦しい。帰宅途中、しゃがんで動けなくなることもあった。クラスをよくしたい、子どもを導きたい。そんな意欲も失われていた。
ある朝、いつものように支度を終え、出勤しようとしたが、体がまったく動かなかった。涙がとまらず、学校には行けなかった。病院で精神疾患との診断を受け、当面、休職することになった。
休み始めると、罪悪感に苦しんだ。子どもに申し訳ない。クラス担任の自分が不在になったことで、同僚にも負担がかかっているだろう……。保護者からの信頼がどうなるかも心配だった。
教員として、忙しいながらも成長する子どもの姿にやりがいを感じてきたし、仕事は楽しい面もあった。休まざるを得ないのは不本意で、つらかった。
なぜこうなってしまったのか。
振り返ると、クラスを1人で抱え込み、孤立していたのかもしれない。学校では病気などで休む教員が数人いて、欠員の補充もされなかった。校長や教頭といった管理職も授業を受け持たざるを得ない状況だった。
ほかの教員もほぼ全員が学級担任。それぞれが手いっぱいだった。クラスをどうするか、相談できる人はいなかった。管理職は、支援する人材をクラスに入れるなどの配慮はしてくれなかった。
「もっとサポートが欲しかった。仕事が必要かどうか考え、量をもっと絞って欲しかった」。振り返って、そう思う。
ベテラン教師が倒れるケースも
若手が孤立する学校がある一方で、ベテラン教員が疲れ果てて倒れるケースもある。
中部地方の公立小の50代男性教諭は、教務主任だった21年12月、学校に行けなくなった。