日本人はなぜ全世代で「中島みゆき」が好きなのか デビューした1970年代から全年代で1位獲得の訳
1990年頃まで、シングルとしては失恋ソングが多かった中島みゆきだが、1993年、『時代』をもう一度シングルリリースした以降から、心を奮い立たせるような楽曲が増えていく。
ちょうどバブルの浮かれきった時代のツケが回ってきて、世の中が暗く、胡散臭くなりだした時期だ。絶望や本音だけではなく、避けては通れない業と再生の歌が増えてくる。
今も支持される『ファイト!』『糸』
「君が笑ってくれるなら僕は悪にでもなる」と歌う『空と君とのあいだに』(1994年)、消えていく自分を必死で探すような『命の別名』(1998年)は、どちらも、世紀末の厭世観をこれでもか、と感じる。
しかしそこからのなりふり構わない“再生”に向けての応援が、あの唸るような力強い声で絞り出され、心に響く。
この『空と君とのあいだに』と同時収録されているのが『ファイト!』、『命の別名』と同時収録されているのが『糸』である。
人と生きることで出てくる罪悪感や葛藤を歌う『ファイト!』と、やさしく人の縁を歌う『糸』は、逆のベクトルながら、歌というより、心の常備薬のような役割を果たしている。
多くのアーティストにカバーされ、『ファイト!』は満島ひかり、槇原敬之、吉田拓郎、『糸』はBank Band、平松愛理、岩崎宏美、JUJU、福山雅治、ATSUSHI(EXILE)、平原綾香、Aimerなどそうそうたる面々が歌っているが、この2曲が不思議なのは、どんなに歌が苦手な人が歌っても泣ける、ということである。
これはもう、歌というものが持つ可能性の究極ではないだろうか。
『ファイト!』が初めて発表されたのは1983年(アルバム『予感』収録)。41年も前の歌なので、歌詞の時代背景が違う。しかし、「ファイト! 闘う君の唄を 闘わない奴等が笑うだろう」と歌うこの曲は、SNSが普及して顔も本名も知らない人たちから攻撃を受けることが多いこの時代だからこそ、響いてくるものがある。
仕事や学校、人間関係に悩み、コンプレックスや罪悪感に向き合いもがく誰かを、「w」(「笑」のネットスラング)を連打して笑ってくる人など気にしなくていい。それは闘わない人なのだから、と歌ってくれているように聴こえるのだ。
中島みゆきの楽曲が時代を超え、求められるのは、自分の心の叫び声と、とても似ているからだろう。 いつの時代も、嘲笑はなくならない。つらいこともなくならない。けれど、「ふるえながらのぼってゆけ」。
そう歌う中島みゆきは来年50周年。これからも変わらず、彼女が織りなしてきた、みっともないほどに本気でやさしい言葉は、巡り巡って心に届くだろう。
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