日本人はなぜ全世代で「中島みゆき」が好きなのか デビューした1970年代から全年代で1位獲得の訳

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 ただ、中島本人は以前この曲について、当時の流行には乗っていなかったため、次の新曲が出るまでのものだと思っていたと歌番組で語っていた。ここまで息が長く愛されるとは想定外だったようだ。

自身のデビュー曲『アザミ嬢のララバイ』も好調、1976年には研ナオコに提供した『LA-LA-LA』もヒットし、初盤からまさに順風満帆。それは間違いないのだが、70年代、80年代中盤頃までは、彼女のイメージは決して“華やかな売れっ子”ではなく、暗さのほうが目立っていた。

「ひとりで泣いてちゃみじめよ」と歌う『アザミ嬢のララバイ』から始まり、『わかれうた』(1977年)、『ひとり上手』(1980年)と、シングルで次々と、どん底の失恋と孤独を歌っていたからだ。

歌詞の多くは、好きな人に自分の存在そのものを否定され、時にあざ笑われ、それを自分でも認めてしまう、哀しさがつづられていた。

私が彼女の歌を初めて聴いたのは『わかれうた』だったが、当時まだ子どもだったので、

「途に倒れて だれかの名を 呼び続けたことがありますか」

という歌詞があまりにも悲惨すぎて、リアクションを入れながら、ギャグとして歌っていた覚えがある。その20年後、この歌詞が身に染みて泣くのであるが。

楽曲とは違いハイテンションなキャラクター

もちろん、恨みやむくわれなさを歌う楽曲そのものは、70年代初盤から、藤圭子の『圭子の夢は夜ひらく』(1970年)など、それなりに多かったのだ。男女格差が大きく、荒ぶる男、虐げられる女という図式が恋愛ソングにも反映されていたのである。しかし、その多くは男性作詞家による楽曲だった。つまり、男性が考えた“ドラマ”だったのだ。

そんななか、フォークソングの流行や前出のポプコンなどをきっかけに、気鋭の女性シンガーソングライターが出現するようになる。そして、女性が“女の本音”を歌い出した。

中島みゆきより2年前にポプコンで優勝した小坂明子は、フラれた相手と妄想で結婚する『あなた』(1973年)を歌った。 そして中島みゆきは、誰もが、「これを言ったら嫌われてしまう、負けてしまう」と心にふたをしている、どす黒くてみっともない感情を、強い声で世の中に放ったのだ。

中島みゆきは暗い。人の負の部分を歌う、怨念を感じる。 テレビの歌番組に出なかったことも要因になり、中島みゆきのキャラクターは、そんな曲のイメージに包まれ先走りながらも、歌謡曲全盛の時代にニューミュージックでいち早くランキングに食い込むなど、多くの人に支持された。

インパクトが強かったのが1980年の『うらみ・ます』。アルバム収録曲にもかかわらず、大きな話題となった。

冒頭から流れる「うらみ・まーすー!」というストレートな叫び声。描かれているのは、相手の家のドアに爪でメッセージを書くヒロイン。さらには「うらみます あんたのこと死ぬまで」という歌詞。この曲が収録されたアルバムのタイトルは『生きていてもいいですか』である。すさまじい。

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