番記者が振り返る、大谷「エンゼルス」選択の妙 二刀流実現の「軌跡」と大谷が目指したもの

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というのも、ディランが言ったように、全てのチームが彼にこういうチャンスを与えるわけではなかったから。

エンゼルスでは、彼は監視されることなく自分の好きなようにトレーニングをすることができた。WBCでも好きなだけ投げて、好きなだけプレーすることが許された。

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エンゼルスで過ごした6年間で、良い面もいっぱいあったはず。「勝つ」という面では、ちょっと誤算だったとは思うけど。

でも、ここ3年間の彼の活躍は、チームの勝敗なんて関係ないくらい異次元だった。野球史や人々の記憶に永遠に刻まれるくらい。

これから大谷が、大きな怪我なんかをして、殿堂入りに求められるような成績を積み重ねられなかったとしても、選ばれるべきだと思うよ。

もし、明日引退したとしても、殿堂入りする価値があるくらいの偉業をすでに成し遂げたと思う。

ほかのチームでは、それほどの活躍が可能だったかは分からない。ある程度の成功は収めたかもしれないけど。エンゼルスが勝敗を無視してでも大谷にチャンスを与えて、大谷がそれに応えたのだけは事実だよ。

大谷はエンゼルスを選んで正解だった

ディラン 僕も大谷はエンゼルスを選んで正解だったと確信している。

日本の方に、これだけは伝えたい。メジャーリーグの球団を運営する一部の人間がどれほど傲慢で愚かかということを。

そういう人間が「二刀流は無理だ」と決めつけてしまっていたら、道は閉ざされていた。そういう自虐的な行為を僕はたくさん見てきた。

だから大谷がエンゼルスを選んだのは正しかった。

もしかしたらボルティモア・オリオールズなんかに行っていたら、二刀流での成功もポストシーズン出場もできていたかもしれない。

でもそれも「たら・れば」の話。

現実として、大谷はエンゼルスで二刀流をやり続けられた。目標にしていた「世界一の選手」にもなった。WBCで優勝もできた。

だから全く勝っていないというわけでもない。十分に成功を収めたと思うよ。

志村 朋哉 在米ジャーナリスト

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しむら・ともや / TOMOYA SHIMURA

1982年生まれ。国際基督教大学卒。テネシー大学スポーツ学修士課程修了。英語と日本語の両方で記事を書く数少ないジャーナリスト。米地方紙オレンジ・カウンティ・レジスターとデイリープレスで10年間働き、現地の調査報道賞も受賞した。大谷翔平のメジャーリーグ移籍後は、米メディアで唯一の大谷担当記者を務めていた。

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