娘が振り返る「山田太一さんが家庭で見せた素顔」 両親の思い出が主題の映画「異人たち」が公開
父が倒れてから亡くなるまで7年たっているのですが、それをきっかけにより家族が密に連絡を取り合い、父とも十分接する時間をもらえました。
感謝を伝えることもできたので、思い残すところはないというか。もちろんああしてあげればよかった、というのはありますけれども、亡くなったときの顔が本当に穏やかだったのでよかったな、というのが兄弟3人の気持ちでした。
――次女である長谷川さんと、長男の石坂拓郎さん(『るろうに剣心』などで知られる映画キャメラマン)が山田太一さんについてお話されているインタビューを拝見したのですが、それが実に生き生きとした言葉でお話をされていて感銘を受けました。自分だったら父親のこと、父親の仕事についてあそこまでしっかりと話すことができただろうかと思ったのですが。
父の仕事場が家だったので、常に家にいたというのは大きかったと思います。よその家のことがわからなかったので、それが特殊なことだとは中学生くらいまで気づきませんでした。
父はとてもおしゃべりで、大好きな美術館や映画館の話などは、普段の会話の中にあふれていました。けれども、わたしたちを諭すことも、説教をすることもまったくなかったですね。
大学に入るときと、子どもが生まれたときに、こうしたらいいよと言われたくらいで。そのときは珍しいなと思いました。あとはドラマからですね。哲学的な話が多かったので、むしろ文章や映像から、父が考えていることを知ったという感じでした。
海外での映像化の交渉
――今回、映画化の話がイギリスから来たときに、製作会社ナンバーナインのプロデューサーさんがご家族と一緒にお食事をされたというふうにお聞きしました。出版社を通したビジネスライクな感じとはまた違った形で交渉が進められたのかなと思ったのですが。
誰も雇っていなかったため、母や家族が手伝うしかなかった、というところもあります。
その会食に参加したのは弟(石坂拓郎氏)と姉(宮本理江子氏)と父と母です。わたしは子育て真っ最中でして、実家に帰る時間もないような時期でした。
弟は高校からアメリカにいて、映画のキャメラマンでもあるので、映画のことをよくわかっているということもあり、よく母と動いてくれたんですね。
ただ権利関係についてはなかなか煩雑で、スムーズにいかなくて。母がしょっちゅう怒っていました(笑)。
母は3部作(小説として発表された『飛ぶ夢をしばらく見ない』『異人たちとの夏』『遠くの声を捜して』の3作)をイギリスで出版するときは、わたしに3部作のあらすじを要約しろと言ってきたり、家族全員を巻き込んで、みんなでやりたいというのがあったみたいですね。
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