20代で芸能界、現実の厳しさを知った。そして、30代で一変。経営者としての道を歩きはじめる。
最初は、名古屋の人気つけ麺店や、古くからの業界の知人と数名で、メイド喫茶「Carnival☆Stars」を運営。株式会社Carnivalを立ち上げ、名古屋を拠点にした店舗はのちに、東京へのフランチャイズ展開も果たした。
「えなこ」との出会いがマネージメントの原点に
30代で経営者となったのを機に、所属していた芸能事務所を辞めた。
メイド喫茶では、店舗のキャストもステージに上がり客席を盛り上げる。並行して、知人がプロデュースする女子アイドルグループのサポートもするようになった。
当時の経験は、タレントマネージメントの原点に。知人を介して、えなこと出会ったのもその頃だ。
メイド喫茶運営の「終盤」には、会社とは別に、えなこを紹介した知人がプロデュースするグループアイドルのマネージャーも兼業。
しかし、紆余曲折あり、結果としてグループは解散。そこからは、えなこのマネージメントを継続していた。
えなこの人気が上昇し、毎日の売り上げに左右される飲食事業と、マネージメント業の並行は「厳しい」と判断。
しばらくして、芸能事業のみの展開にしようと決意し、PPEが誕生した。
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