「以前は、『仕事をしているから、自分は価値があるんだ』って思ってました。だけど、介護をするなかで、人はたとえ動けなくなっても価値もあるし、権利もあるんだなと。だったら私も、別に何にもしなくても存在してていいんじゃないか、って思ったんです。これまでは『なにかをしなきゃ』って思って、仕事や介護に必死に取り組んできましたけど、今やっと『なにもしてなくてもいいんだな』っていう感覚を味わっている気がします」
ひとりになった今は、しっかり寝ること、食べることなど、「どうしたら、自分が元気に生活できるのか」を試しているという。それは、これまでの50年間の人生で、宮本さんが試すことができなかったことだ。
そして、次の仕事のことも考え始めているらしい。
「自分の貯蓄が底をつく前までに、再び働き始める予定です。いったんキャリアはストップしましたが、介護離職の経験が違う人生につながると信じて、新しい働き方にチャレンジしたいと考えています」
キャリアブレイクは、仕事から離れることで自分を見つめ直し、あらたな考え方を見いだす機会になることがある。仕事を賃労働に限らず、育児や介護といったケア労働まで含めてとらえれば、介護という役割から離れた宮本さんは、広い意味でのキャリアブレイクのさなかにいるのだろう。
「介護離職=キャリアの断絶」なのか?
宮本さんのエピソードにふれて、「介護離職があらたな人生への糸口になったというのは、貯蓄があったり介護が長期化しなかったりと、たまたま運が良かっただけじゃないか」と思う方もいるかもしれない。
実際に、介護うつや介護殺人がときおりニュースになるなど、介護に伴う経験は一人ひとり異なるものであり、精神的、肉体的、経済的に大きな負担を抱えてしまっている人もいる。そして、介護のようなケア労働が女性に押し付けられてきたという根深い歴史も見過ごせない。
しかし、「介護離職=キャリアの断絶」と決めつけてしまうことのリスクもある。介護離職のつらさのひとつは、社会的な孤立だといわれる。周りの誰かが「介護離職=キャリアの断絶」と決めつけることは、本当は100人100通りであるはずの経験をひとつのストーリーに押し込め、当事者を孤立させることにつながるのではないだろうか。
無職・休職者がかならずしも怠惰だとはいえないように、介護離職者を「キャリアが断絶した人」としてだけ捉えると、見落としてしまうことがある。一人の個人としても、社会としても、介護離職者一人ひとりの声に耳を傾けていたい。
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