次第に気持ちが離れる、光源氏の夫婦関係の複雑 「源氏物語」を角田光代の現代訳で読む・若紫⑤

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左大臣の邸では、光君がやってくるのを心待ちにしてあれこれ用意をし、光君が久しく顔を見せないうちに、ますます玉で飾った高殿よろしく邸を飾り立て、何もかも華麗に整えていた。妻である女君(葵(あおい)の上(うえ))は、いつものように引っ込んだままで、すぐには姿をあらわさない。左大臣に強く勧められて、やっとのことであらわれたものの、まるで絵に描いた物語のお姫さまのように座り、身じろぎもせず、堅苦しいまでに行儀よくしている。光君が心の中の思いをそれとなく口にしたり、山に行っていた話をしてみても、女君は少しも打ち解ける様子がない。気の利いた返事でもしてくれるのならば話し甲斐(がい)もあって、愛情も湧いてこようものを、光君を気詰まりな相手だと思っているかのようによそよそしい。いっしょになってから年月が重なるのにつれて、どんどん気持ちが離れていくようで、光君はさすがにやりきれない気持ちになって、言った。

「たまには人並みの妻らしいところを見てみたいものですね。病でたえがたいほど苦しんでいたのに、いかがですかと問うてもくれないのは、今にはじまったことではないが、やはり恨めしく思いますよ」

「では『問はぬはつらき』という古歌の心があなたもおわかりになって?」と、流し目で光君を見る葵の上のまなざしは、なんとも近づきがたいほどの気品にあふれたうつくしさである。

「若紫」の登場人物系図(△は故人)

なんともおもしろくない気持ち

「たまに何か言ってくれるかと思うと、とんでもないことを言いますね。『問はぬはつらき』などという間柄は、れっきとした夫婦である私たちにはあてはまりませんよ。情けないことだ。いつまでたっても取りつく島もない仕打ちだけれど、考えなおしてくれることもあろうかと、いろいろ手をかえてあなたの気持ちを試そうとしているのですが、それでますます私のことが嫌になるのでしょうね。まあ、仕方ない。命さえ長らえていれば、いつかはわかってもらえるでしょう」と言って、光君は寝室に入った。

女君はすぐには寝室に入ってこない。光君は誘いあぐねて、ため息をつき横になった。なんともおもしろくない気持ちなのだろうか、眠そうなふりをして、男と女のことについてあれこれ思いをめぐらせている。

さて、山で見かけたあの少女の成長ぶりを、やはりこの目で見たいという思いを光君は捨てることができない。けれど不釣り合いな年齢だと尼君が言うのももっともであるし、なんとも交渉しづらい。なんとか手立てを打って、気軽にこちらに迎えて、朝も夕もいっしょに暮らしたいものだ……。父君の兵部卿宮(ひょうぶきょうのみや)はじつに優雅で上品なお方だが、はなやかなうつくしさがあるわけではない、なのになぜあの少女は、ご一族のあのお方にあんなに似ているのだろう、兵部卿宮とあのお方が、同じ母宮からお生まれになったからだろうか……。そんなことを考えていると、あのお方との姪(めい)という縁(ゆかり)がなんとも慕わしく、どうにかして是非にでも、と切実な気持ちになる。翌日、手紙を書いて北山に届けた。僧都にも思うところをそれとなく書いたようである。尼君には、

「まったく取り合ってくださらなかったご様子に気が引けて、心に思っておりますことを存分に言い切ることができなかったのを残念に思っております。こうしてお手紙でも申し上げることからしても、私がどれほど真剣かをおわかりいただけましたら、どんなにうれしいでしょう」

と書き、ちいさな結び文を同封した。そこには、

「おもかげは身をも離れず山桜心の限りとめて来(こ)しかど
(山桜のうつくしい面影は体から離れることがありません。心のすべてはそちらに置いてきたのですが)

夜のあいだの風も、山桜を散らしてしまうのではないかと心配でなりません」

と書いた。

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