「早大1浪2留中退」名家の母を嘆かせた彼の後悔 早稲田行きたい一心で浪人を決意、彼のその後

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こうして西さんの激動の1年間は終わりを告げます。短くも激しい浪人生活を経験してよかったことを聞いてみると、「初めて自分で自分の人生を考えて頑張れた」こと、頑張れた理由は、「早稲田に行ったら、楽しいと思い込んでいたから」と答えてくれました。

「早稲田のすべてが美しいと思っていました。早稲田大学のサークルが発行している雑誌『早稲田魂』を買い集めたり、大隈講堂の写真を机の前の壁に貼ったりして、その前でハチマキをして勉強をしていましたからね。早稲田に行きたいと本気で思って、受験勉強をする日々はとても楽しかったです」

恋い焦がれて入った念願の早稲田での生活は、楽しくて仕方がなかったそうです。

塾や家庭教師・引っ越しのアルバイトをしたり、入ったサークルの人たちと自分の下宿先に入り浸って、お酒や麻雀をして交流をしたりする日々を送った西さん。だんだんと学校に行かなくなり、1年目に36単位を取ったものの、2年目には8単位、3年目には0単位になり、6年生で学校を中退して地元に戻ることになります。

浪人・留年・中退を経て多様な職業を経験

しかし、彼は持ち前の明るさとプラス思考で、家電量販店の仕事に就き、そこから飲み屋で知り合った人のつてで印刷会社の正社員になります。その後、イベント企画やデイトレーダーなど、さまざまな仕事を経験する中で、世論調査の仕事をした際に、その調査を運営していた大手企業グループの人事にスカウトされました。それがきっかけとなって管理部門のキャリアを歩み始めます。その後、2社の転職を経て、現在はIT通信関連スタートアップ企業の経営メンバーになりました。

浪人・留年・中退のあとにも、多様な職業を経験して、現在経営メンバーとして働く西さん。「異業種交流会で会う50~60代の方に自分の経歴を話すとウケます (笑)」とはにかみながら語る彼は、誰の懐にも入り込める天性の人当たりのよさと、ずば抜けた集中力で、大学中退後のキャリアを築いていました。

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