「早大1浪2留中退」名家の母を嘆かせた彼の後悔 早稲田行きたい一心で浪人を決意、彼のその後

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「もともと自分は、やさしく楽しい道をすぐに選びたがる人間なんです。入ったときは学年523人中で200番以内の成績だったと思うのですが、Jリーグが始まってから(テレビで)サッカーが見たくなって、勉強をしなくなりました。その結果、480番くらいまで成績が下がり、それからもずっと400番台が定位置でしたね」

高校3年生になった彼は、私立文系コースに進み、早稲田大学に進もうと勉強を頑張ります。彼はもともと、中学のときにはすでに「早稲田しか行かない!」と志望校を心に決めていました。

「家族がラグビー好きで、早稲田のえんじ色のユニフォームがかっこいいと思っていましたし、早稲田と同じくバンカラな校風の高校も好きだったので、高校に入ってからは、よりいっそう早稲田しかないと思っていました」

濱井正吾 浪人 早稲田
西さんはラグビー好きの家族の影響や、校風に憧れ、早稲田を目指した(写真: i-flower / PIXTA)

一方で、現役で合格できる気はまったくしなかったそうです。

「高校2年生まで模試をまったく受けていないので、偏差値は不明でしたし、指定校推薦をもらおうともしたのですが、評定平均4以上ないとダメだったので、3.2だった自分は論外でした。

ここで下手に勉強をして、早稲田以外の大学に受かったら、そこに入れさせられると思いました。そこで、6月から3カ月間は忙しくなる、高校の大事な行事であった体育祭のリーダーに立候補して、浪人できる口実を作りました。結局、体育祭が終わったあとの9月には見事に燃え尽き症候群になってしまったので、もうこの時点で親に浪人する宣言をしました」

早稲田しかないと思い込んでいた

受験までに「やるべきことはやった」そうですが、本気で受かることは難しいと半ば諦めていたそうです。

こうして現役での受験は、早稲田大学の政治経済学部と法学部のみを受けたものの、「ほぼ記念受験」と語るようにあっさり不合格に終わってしまい、全落ちで浪人が確定しました。

西さんが浪人を決断した理由はやはり、「早稲田しかないと思い込んでいたから」でした。

こうして彼は代々木ゼミナールの福岡校に通うことを決めます。この決断は、彼の人生にとっても初めて、「自分で人生の進路を決めた」感じがあったそうです。

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