手形はシリコン樹脂を充填した専用の容器に故人の手を差し込んで型を作るが、その準備に手間をかけることが多い。自宅や斎場に安置されている遺体は、胸の上で手を組んだ状態のまま、上下のドライアイスによって凍っていることが多い。その場合は蒸しタオルでゆっくりと温めて、関節を少しずつ動かしながらほぐしていく。
そうして取られた型を工房に持ち帰り、石膏を流し込んで完成品を仕上げる。石膏のデスマスクは木箱代と消費税込みで16万5000円、手形はアクリルケース付きで13万2000円となる。納期の目安は1カ月。多くの依頼者はデスマスクと手形をセットで注文するそうだ。
ブロンズ像に仕上げる場合は、鋳造業者に依頼するため納期が1カ月半~2カ月になる。費用はデスマスクが36万3000円で、手形は33万円だ。
持て余されるデスマスク
依頼者の手元に届けられたデスマスクや手形は、今のところはプライベートな空間で大切にされる道を辿っている。そうなると、最近のデスマスクがオープンソースになることはあまりないといえそうだ。
そして、かつてはオープンソースだったデスマスクも、時間経過とともに公の場から姿を消すことが珍しくない。
権藤さんのアトリエには、自身の制作物以外のデスマスクも置かれている。自宅の蔵から祖先のデスマスクが見つかり、どうすることもできないから処分してほしいと依頼されたものだ。木箱から丁寧に取り出して語る。
「昭和17年に取られたものですね。当時の士業会の役員をされていた名士ですが、お孫さんの代になって持て余してしまったそうで。神社で魂抜きをしてもらって、こうして手元に置かせてもらっています」
故人への憧憬や思慕は子から孫へと引き継がれるとは限らない。夏目漱石のような際立った人物はむしろ例外で、多くは直接交流した人たちがこの世を去ったら、その価値を受け止める人がいなくなる。するとその後に残った“器”は、重さばかりが目立って持て余されてしまう。
そのあたりの事情は実家に残された墓と似ている。墓が実のところ永遠の存在ではないように、デスマスクもまた時限的な側面がある。それでも、そういう顔の人が存在したという実在性だけは消えることはない。作られたのが100年前でも2000年前でも生々しさを感じさせる。それはとんでもなくすごいことだ。
漱石山房記念館だより 第13号
岡田温司『デスマスク』(岩波新書)
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