令和の今も作成依頼「デスマスク」への遺族の想い 夏目漱石の死に顔やコロナで逝った少年の手形も

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このタイミングで作られた複製品はいくつかあり、東北大学や神奈川近代文学館なども所蔵している。また、二松学舎大学にある「漱石アンドロイド」の頭部も朝日新聞社のデスマスクを3Dスキャンして作られており、後に生まれた複製品のひとつに数えられるだろう。

正面から(漱石山房記念館所蔵、筆者撮影)
側面から(漱石山房記念館所蔵、筆者撮影)

デスマスクは蝋などで型を取り、そこから石膏やブロンズ製の面を作りだす。まさに死に顔の生き写しだ。漱石のデスマスクを間近に眺めると、額のしわや目じわ、頬骨の隆起具合までありのままに残されているのがわかる。当たり前ながら等身大なので、顔の大きさも伝わる。整った顔立ちと口ひげに、教科書やかつての1000円札で目にしたあの肖像の姿が浮かぶ。

晩年といえども49歳とまだ十分に若く、病床で大きく老け込んだり、死因となった胃潰瘍による苦悶の表情が染みこんだりした感じはしない。最後の最後は穏やかに息を引き取ったのではないかと推測するのに十分な情報が詰まっている。

もし仮に100年前にタイムスリップして荼毘に付す前の漱石の遺体を目の当たりにしても、周囲の目もあるからここまでじっくりとは眺められなかっただろう。気兼ねなく、ありのままの容姿を観察できる。デスマスクだからこそできた経験だ。

死を記憶して後世に伝える。その情報量と正確さにおいて、デスマスクは写真や絵画、墓石をも凌ぐ。かなり高解像な「死のオープンソース」といえそうだ。

ルーツは古代ローマに遡る

その歴史は古く、紀元前の古代ローマ時代まで遡る。古代ローマでは、高級官僚などの高貴な家柄の玄関広間には「イマギネス」という蝋で作った先代のデスマスクが飾られていたという。イマギネスは葬列にも持ち出されるなどして、祖先の崇拝と家柄を誇示する役割を担っていたようだ。

やがてイマギネスは市民にも広まり、その技術は後世に引き継がれた。中世から近世にかけての欧州やその文化圏では王や名士のデスマスクがとられるようになる。現在に伝わるものだけで、アイザック・ニュートン(1642-1727)やベートーベン(1770-1827)、エイブラハム・リンカーン(1809-1865)、レフ・トルストイ(1828-1910)など、枚挙にいとまがない。

日本には文明開化の時代に伝わった。明治から昭和前半にかけては、夏目漱石以外にも、森鴎外(1862-1922)や小林多喜二(1903-1933)、松沢病院で暮らしながらメディアを賑わした葦原将軍(葦原金次郎、1852-1937)など多くのデスマスクが残されており、その多くは関連する資料館で今も目にすることができる。

ところが、戦後になるとデスマスクを残す風習は次第に退潮に向かっていく。

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