92歳「"球界の嫌われ者"の言葉」が圧倒的に響く訳 「何者にも屈しない」姿は、なぜ生まれたのか?
1984年にトレードで西武ライオンズに入団した江夏豊は、すでに球界内でも噂になっていた「玄米を食べろ、肉を食うな、酒を飲むな」という西武のルールをこの目で確かめようと食堂に行った。すると、選手たちは黙って玄米を食べていた光景に遭遇する。
西武・江夏豊が発した「禁断の発言」
「なんかアホらしい」。江夏はそう思った。
玄米を食べることそのものではなく、選手がすべて監督の言いなりになっていることに辟易したのだ。
シーズンに入り、監督の広岡が痛風を患っていることを耳にした江夏は、5月の遠征時の食事中に広岡の席までつかつかと近寄ってこう言った。
「玄米を食べているのに、監督はなんで痛風になるの?」
その瞬間、周りは凍りついた。冷静沈着な広岡の顔が強張り、何も言わずに席に立ってしまった。
江夏に悪気はなく、あくまでも本音を言ったまでだ。
「何をそんなにビビっとるんや。軍隊じゃあるまいし、俺らは操り人形とちゃうぞ」
キャンプ時から「ああせえこうせえ」と一から十まで指図され、選手はそれを素直に聞き入れている。これではまるで広岡教の信者じゃないか。広岡に心酔していればまだわかるが、選手はどこかビクビクして従っているように見える。高校球児じゃあるまいし、プロのアスリートには到底見えない。
江夏は「いっちょかましたろ」と思ったのだ。この痛風発言から、江夏の登板数は減っていった。
広岡に、江夏の発言を受けてから登板機会が減ったという経緯についても聞いてみた。
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